
5月24日妻と義母の3人で三島「柿田川公園」、熱海「姫の沢公園」「錦ヶ浦(にしきがうら)」を観光し少し早めでしたが3時頃熱海「ニューフジヤホテル」に到着しました。
このホテルはあるご婦人から聞いて急に出かけて見たくなりネットで申し込みをしたものです。
その理由は365日1万円以下の均一料金で夕食、朝食ともバイキング、特に夜はアルコールが飲み放題が大変気に入りました。
我々3人は食べ放題では元をとるのは難しいと思いますが、飲む方は大得意であり、こちらで元を取る事は充分可能です。
我々3人は10階の大きな部屋に案内され、洋間と和室がありイビキの大きな私は和室に寝る事になりました。


このホテルには、11階にある展望露天風呂初島、大島(朝と昼で、男女入れ替えに)と別館にはアネックス露天風呂「家康の湯」があり、更に内湯が1つあります。
我々は早速、直ぐ上の11階にある展望露天に行きました。目の前に初島が見え、私が好むぬるめのお湯でゆっくりと入る事が出来ました。
翌朝は別館の家康の湯へ行き、日本庭園風の岩風呂を堪能しました。


先に書きましたが、食事はバイキングで50種類の料理とお酒、ソフトドリンクが飲み放題になってます。
料理ラインナップはうなぎ、ローストビーフ、スモークサーモン、天プラ、さしみ盛り合わせ(サーモン、いか、まぐろ、甘海老)、すし、おでん、ビーフシチュー、酢豚、飲茶3種、えびのマヨネーズ和え、茶碗蒸し、春巻、和風ハンバーグなど沢山あります。


飲み物は、生ビール、日本酒、ウィスキー、焼酎、レモンサワー、梅サワー、ウーロンハイ、緑茶ハイ、カルピスサワーが飲み放題です。
焼酎とウィスキーは原液があるので、作ってある奴に足して飲む事ができます。
デザートも沢山ありライチ、メロン、バナナ、オレンジ、ケーキ3種、杏仁豆腐、アイス等でしたが飲みすぎた私は何も手をつける事は出来ませんでした。


朝のバイキングも品数が多くて満足。10種類のソフトドリンクが飲み放題でした。
牛乳もパンもあり、和食洋食の両方が楽しめました。
私は朝5時に起きて露天風呂に入って部屋で缶ビールを飲み、更に朝食バイキングではビールの自動販売機でスーパードライのロング缶(300円チョットで購入安い)を購入し持ち込み、日本食の酒のツマミになるもの運んで朝から爽やかに飲んでしまいました。

ここの施設は色々ありますが、ほとんど無料で使えます。
卓球、囲碁、将棋、麻雀、カラオケ、足つぼのマッサージ機、インターネットなど。自動販売機も定価通りの120円、150円です。
インターネットのコーナーがあり5つのパソコンが使えます。バイキング会場の前にも3つありました。
私は自分のブログの状況を確認してみました。
このホテルは伊藤園グループが経営し他にも同じシステムで経営されている温泉が沢山あり、熱海「ニューフジヤホテル」のリーズナブルなシステムが気に入った為、同じ経営の長嶋茂雄監督がキャンプを張った大仁ホテルも同じ飲み放題があり次に行きたいと思っています。
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- 2008/07/03(木) 20:23:22|
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我夫婦と義母と3人で熱海のニューフジヤホテルへ一泊でノンビリと温泉旅行に行って来ました。
突然、熱海に行く気になったのは、あるお年寄りから熱海の「ニューフジヤホテル」では夕食バイキングで飲み放題1万円以内との話を聞いたからです。
ネットで調べて見ると「伊藤園ホテルグループ」では各地でその様な企画を行っているようでした。
私が一番気に入ったのは、バイキングで飲み放題でした。
我夫婦はどちらかと言えば飲み放題に魅力を感じたと思いますが、今回はホテルで充分に時間を取り温泉三昧のユッタリとした気分を味わいたいと思いました。


我家から熱海までは車で行くと2時間チョットで着いてしまう為、途中で観光をしながら行きました。
三島の柿田川湧水・熱海の姫の沢公園・錦ヶ浦・バラの花園を見物しました。
富士山の湧き水が国道1号線の横から大量に湧き出し、沼津市の水源となる大きな川を作って「柿田川湧水」には何度訪れても自然の偉大さに感動します。


錦ヶ浦「にしき亭」で日本料理の昼食を取り、「バラの花園」に寄りニューフジヤホテルに入りました。


翌日は雨が降るとの天気予報で、朝8時半にホテルを出て富士山が上の部分しか見せない「十国峠」を見て、芦ノ湖スカイライン・箱根スカイラインを経由して御殿場の「アウトレット」へ寄りました。
私はパジャマ代わりに用意した「Tシャツ」をそのまま着て中に入りましたが、大勢のブランドものを着こなした若者達が多く、私には何か場違いな気がしました。
妻はテニスウェアを買っていましたが、安い物ばかりではなく、我々がチョクチョク訪れる場所ではないような気がしました。

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- 2008/05/25(日) 21:28:29|
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本日からイタリアへツアー旅行に出掛けます。
ブログはしばらくお休みします。
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- 2008/03/15(土) 05:16:24|
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本日は旅行会社の主催で我家の近くの「グランシップ」にてイタリア旅行の説明会があり、夫婦で参加して来ました。
我家では3月中旬にイタリア旅行を申し込みしてあり、その関係で開催場所が我家に近く参加する気持ちになりました。
我々は定刻10分位前に到着しましたが、既に200名位の我々と同年輩と思われる皆様が座っていました。
旅行会社の皆様も30人以上待機されていました。


先ずはイタリアの観光地を映像で鑑賞し、その後ツアー旅行で訪問する観光スポットを具体的に説明してくれました。
私はビール一つ頼む事が出来ない外国よりも日本の温泉でも旅行する方が気楽で良いのですが、外国は歳を取ったら行く事ができないと妻から言われ行く事になりました。
私の食事は日本食が中心で、パン食は殆どしません。
但し、イタリアはパスタ中心の食事だそうで、麺類が好きな私には合うかもしれません。
本日の説明会で特に気になったのはスリが多いと何度も注意があり、説明会の横で販売されていた旅行グッズの中でセキュリティーバックを購入しました。
パスポートさえ無くさなければ予定通り帰ってくる事は出来ますからね!

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- 2008/02/23(土) 05:45:01|
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「袋田の滝」を見学した後、栃木県の益子町の
益子焼共販センターを訪れ、昼食を取った後丁度開催されていた陶器市を見学しました。
我々は
陶芸に少しは興味がありますが、全く目利きは出来ません。
しかし記念に何か普段使用可能な皿を購入しようと思い、高価な物は無理なので適当に大振りで色合いの良い暖かみのある物を選び2点程購入しました。


我々夫婦は毎晩ビールがご飯代わりで白米を食べませんので、「おかず」と言うよりも「酒の肴」を盛り付ける皿に興味があります。
特に大き目の皿に興味があり大胆な面白い皿があると購入したくなります。
我々は別に皿を飾る訳ではなく、毎日の「酒の肴」を綺麗に楽しく盛り付ける為に使い、割っても惜しくない程度の物を購入します。
この為、我々は何焼きが良いなどと評価する知識もありませんし、陶器と磁器の違いが分る程度です。
我々の先輩の中には
陶芸世界に入り込みトコトン入ってしまう人もいます。
私は子供の頃から図画工作は大好きで、将来は
陶芸をやって見たいと思う事が何度かあります。
知識はありませんが、形の面白い大胆な構図の「
織部焼」や、釉薬を一切使用しない「
備前焼」に大変興味があります。


私は勿論「
益子焼」についての知識はありませんでした。
今回のツアーに入っていなければ多分永遠に訪れる場所ではないと思います。
今回訪問する為、ネットで
益子焼きについて調べました。
それによると、笠間にて陶技を学んだ大塚啓三郎(おおつかけいざぶろう)が、1853(嘉永6)年、町内の大津沢の粘土を用いて 陶器製造に着手して以来のものです。益子焼は創業当初から黒羽藩の殖産事業の一つとして庇護をうけ、創業期、5〜6軒であった 窯元も、江戸末期頃には約20軒になりました。
当時の主な製品は、かめ、すり鉢、紅鉢・片口・行平・土釜・土鍋・土瓶などの庶民の台所用品でした。
1871(明治4)年、廃藩置県により黒羽藩は解消し、御用窯としての益子焼は民窯へと移行します。 藩からの援助は途絶えたものの、創業から20年近く経過して窯数も増加し、 東京という大きな消費地を控えて陶業は着々と発展し、関東近県にも販路が拡がってゆきました。・・・・・・・・・
・・・・・・・ちょうどその頃、1924(大正13)年、浜田庄司(はまだしょうじ 1894-1978)が益子に定住・作陶に入りました。佐久間藤太郎(さくまとうたろう 1900-1976)をはじめ、幾人かの陶工が強い影響を受け、浜田らが唱える「民芸運動」の理念に基づいた民芸品(花瓶・茶器・食器・火鉢など)の製造に着手しました。 ・・・・・・・・・・・
現在益子には400前後の窯があると いわれていますが、その内の約9割は個人の陶芸家であり、その殆どが外部出身者です。 陶芸家が独自の作風を目指すほど、従来の益子焼から遠ざかるのは仕方のないことかもしれません。・・・・・・・・・・・・・・私は単純な真っ白の磁器の大皿も好きですが、陶器のズッシリとして暖かみがあり落ち着いた深みのある色合いで多少ゴツゴツした風合いがある大皿にも興味があります。
これから歳を重ねると共に
陶芸にも興味を持って行きたいと思っています。

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- 2007/12/04(火) 21:32:28|
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ホテルリステル猪苗代を朝バスで出発し一路「
袋田の滝」を目指しました。
今回のツアーで最も期待していた「
袋田の滝」は茨城県大子町袋田にあり、近くに観光スポットがなく我々には、なかなか訪れるチャンスがありませんでした。
「
袋田の滝」は長さ120m幅73mで冬は凍結しテレビ等で凍った滝をロッククライミングする姿が放映されたりする有名な滝で以前から是非訪れて見たいと思っていました。


この滝は駐車場があり土産物屋が並ぶ場所から山を1つ越えた所にある為、駐車場から300m位歩いて最後は有料の歩行者専用の
トンネルを約300m歩き漸く滝の音が聞こえて来ます。
段々大きくなる滝の音を聞きながら最後は
トンネルの中から外を見ると見える範囲全面に凄い勢いで水が落ちており「ウァー凄い凄い」と皆さんが一斉に感嘆の声を発していました。
私も大いに感動し何枚もシャッターを切りました。水飛沫が飛んで来るためレンズを拭きながら撮影をしました。


我々がここを訪れたのは11月1日で既に
紅葉が始まっており、最高の時期に観光する事が出来、天気にも恵まれ日本一の滝を見る事が出来、幸せな気分になりました。
この滝は「
那智の滝」や「
華厳の滝」のように上から一気に落ち込んでいる滝ではなく、4段になってそれぞれが幅広い大きな岩の面を滑るように流れ落ちています。
黒い岩と白い水のコントラストに加え
紅葉がアクセントになり最高の見ごろとなっていました。


上の写真の真ん中にある展望台が、最初に
トンネルから出て豪快な滝を見た所です。
もし
トンネルがなければ、4段に落ちる「
袋田の滝」を正面から見る事はできす、豪快さ素晴らしさは半減してしまうと思いました。


少しぼやけていますが、つり橋の向こうに「
袋田の滝」が見え、その向この山は
紅葉しており素晴らしい本当に良い季節に観光が出来たものだと神様に感謝をしました。
この同じツアーは2ヶ月位の間で何本も用意されていましたが、日光・
華厳の滝・会津・裏磐梯等全て
紅葉に彩られ、この日程を選んだ我々の読みが大当たりであったとつくづく自分達のラッキーさを痛感しています。


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- 2007/11/23(金) 05:33:34|
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我々は裏磐梯五色沼を見学した後2日目の宿である、ホテルリステル猪苗代に夕闇迫る頃到着しました。
ここからは
猪苗代湖が一望でき、反対側はスキー場やテニスコートが併設されたリゾートホテルで第24回育樹祭には皇太子ご夫妻が2泊されたホテルのようです。
上の
猪苗代湖はバスの車窓から撮影しました。
バスガイドさんの説明によるとこの
猪苗代湖は
水質が日本一であり、「水清くして魚住まず」の例え通りこの湖には魚が少ないそうです。

上の写真は裏磐梯からホテルに向かう途中、
夕日が沈む時に
夕日の右側地平線の少し上に五色に光る「
彩雲」が出ました。
私のデジカメで撮影し、しかも動いているバスの中で望遠も使用できず、この写真を見ても極彩色に光る「
彩雲」は分りませんね。

上下の写真はホテルの部屋からビールを飲みながら撮影した
猪苗代湖の夕焼けです。

下の写真は翌朝バスの車窓から物凄い数の稲村の向こうに見える
猪苗代湖を撮影しました。
猪苗代湖の説明は下のread moreをクリックして下さい。
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- 2007/11/22(木) 05:25:26|
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会津若松城を
観光した後、
磐梯山を猪苗代湖を見ながら後ろに回り込み
裏磐梯五色沼に到着しました。
午後の3時過ぎに到着した為、
磐梯山を眺めると丁度逆光になり私のデジカメでは写真撮影が難しくなりました。
私が40年前友達とここを
観光した時は、この
五色沼が朝霧で覆われた白黒の写真があり、この近くに泊まった事は間違いないと思いますがハッキリ思い出せません。


今回は
紅葉が真っ盛りで最高の時期に
観光出来,感激しました。
五色沼の色と
紅葉の色のコントラストが何とも言えない絶妙なバランスで、気持ちを清清しく爽快にさせてくれました。
もう少し早い時間に到着してくれれば更に素晴らしい光景が見られたかも知れませんが贅沢はいえませんね。

この裏磐梯五色沼は明治21年(1888年7月15日)、磐梯山が大噴火を起こし、北側の 標高500メートル以上が崩れて飛散し、 その巨大な土石流により 磐梯山北側にあった部落が土砂の下に埋まり 小野川、中津川、長瀬川を堰き止められ五色沼、桧原湖、小野川湖など 大小約300もの湖沼群が出来たと説明がありました。
写真を何枚も公開しますが、素晴らしい
紅葉を味わってください。

裏磐梯五色沼の説明は続きをご覧下さい。
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- 2007/11/20(火) 05:29:53|
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鬼怒川温泉から紅葉の「塔のへつり」を観光した後、白虎隊飯盛山の下の土産物屋で昼食をとり、白虎隊の隊員に扮したお姉さんの案内で楽しく観光し、
会津若松城へ到着しました。
私はこの城を
会津鶴ヶ城と言っていましたが、全国的には
会津若松城と呼ばれることも多いそうで、地元で一般的に
鶴ヶ城と言われているそうです。
ここに到着した時は天候が素晴らしく若干雲が出て、大きく雄大なお城が眩しく光って見えました。


私は40年前に友達と東山温泉に泊まり
裏磐梯・野口記念館等旅をした事がありますが、この城を見たか覚えていません。
この城は大きく金のシャチホコで有名の名古屋城と同じくらいの大きさに見えました。
ここは外堀から中に入るまでの間には紅葉した木々が沢山ありましたが、中に入ると奇麗に整備され青々とした松が目立つ公園となり、写真は松越しに城を撮影する事になりました。
撮影した写真を見ると絵葉書のように奇麗に写ってしまい、何か面白みの無い写真ですが何枚か公開します。


このお城の内部は博物館になっており、階段を順に昇って行きます。
今度の旅行でも、東洋人特に中国の若い旅行者の方だと思いますが、多く観光されているのに驚きます。
日本人の旅行者は我々のような年寄りが多く見られますが、中国の皆様はお歳よりは見られず若い溌剌とした方が殆んどです。
城の中の博物館で日本人は素通りしてしまう所も、全てに興味を持ち積極的に触ったり近くに行って覗きこんだりしていました。


お城の天守閣からは
会津磐梯山が紅葉の木々越しに望む事が出来ました。
我々はこの後この
磐梯山の裏側へ回り込み
裏磐梯の五色沼等を観光しました。


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- 2007/11/17(土) 06:29:33|
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「塔のへつり」を観光し、そこから1時間半位で会津盆地の
白虎隊の墓がある「
飯盛山」を観光しました。
白虎隊の墓は小高い岡の上にあり石段がありますが、我々年寄りツアーグループは一人を除き石段の横に併設された有料のエスカレーターで上がりました。
ここの案内は入口にある土産物屋の美人お姉さんが
白虎隊の隊員に扮し、元気溌剌と地元の方言を駆使しユーモアを交え言葉巧みに案内をして頂きました。


元気な美人お姉さんの説明によると「
飯盛山」という名前の由来は、この山が飯を盛ったような形なので、この名前が付けられたそうです。
戊辰戦争(会津戦争)時、会津藩の少年たちで構成される
白虎隊士中二番隊が、戸ノ口原の戦いでの奮戦空しく撤退する際、この地で鶴ヶ城周辺の武家屋敷等が燃えているのを落城と錯覚し、もはや帰るところもないと自刃した地でもあり「
白虎隊十九士の墓」には、年間200万人ともいわれる観光客が訪れ、墓前には早すぎる死を悼む香煙がたえないそうです。


小さなお堂には
自害した
白虎隊の一人の血に染まった袴の一部が額に入って展示されていました。
きっとお姉さんの説明がないと分かりませんね。


<この山の中腹には、日本では大変珍しい木造建築物栄螺堂(
さざえどう)(旧正宗寺三匝堂)があります。
本当にサザエのような形をしており、中心の柱を螺旋状に上り下りて来ると同じ道を通らず抜けられるという仕組みで、国の重要文化財に指定されており、これ目当てで観光に来る客も多いそうです。


上の写真は猪苗代湖の水を引き込んでいる疎水があり、
白虎隊はこの疎水の真っ暗なトンネルを抜けてここまで落ち延びて来て、鶴ケ城の近くの武家屋敷が燃えているのを城が燃えていると勘違いし
自害した場所です。

上のお宅はこの
飯盛山を所有する地主さんの家だそうです。
これだけの観光客が来ればもう少し立派な家を建てられるのではないかと思いましたが?
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- 2007/11/13(火) 21:29:34|
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私は「
塔のへつり」と言う景勝地をこのツアー旅行で初めて知りました。
鬼怒川温泉に泊まり、バスで素晴らしい
紅葉の山並みを見ながら
会津の
飯盛山へ向かう途中に、この「
塔のへつり」を観光しました。
この場所は福島県下郷町にあり、南
会津を流れる大川が形成する渓谷に位置しているそうです。
私も全く知らない場所であり、土産物屋も殆どないのではと思っていましたが、予想に反しかなりの土産物屋さんが軒を並べていました。

ネットの説明によると:大川羽鳥県立公園、大川ラインの一番の景勝地であり、百万年の歳月をかけて、浸食と風化を繰り返し見事な景観を創り、初夏、藤の花と白い岩肌の織りなす眺めは、まさに一幅の名画となっておりますとありました。。
我々が訪れた
紅葉の季節でもその素晴らしい景観に感動しました。

私は「へつり」と言う言葉を初めて聞きました。
説明によると、地元の方言で険しい崖のことであり、川岸が切り立った崖となっている所の事を言うそうです。
ネットの説明:
全長200mにわたって、大規模な奇岩が整列している。主なものには屏風岩、烏帽子岩、護摩塔岩、九輪塔岩、櫓塔岩、獅子塔岩、鷲塔岩などがあり、吊橋をわたって奇岩を巡ることが出来る。一帯は樹木に覆われており、新緑や紅葉の頃は一際美しい。
私には岩の名前を説明する事は出来ませんが、写真をご覧下さい。


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- 2007/11/11(日) 08:39:47|
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今回のツアー旅行の目玉は、
紅葉を見る事と「日本三代名瀑」に数えられる、「
華厳の滝」と「
袋田の滝」を観光する事でした。
私は和歌山県の「
那智の滝」は何回も見る機会に恵まれましたが、今回の
華厳の滝と
袋田の滝は初めて見る事になります。
中禅寺湖を観光した後、まずはその直ぐ近くにある「
華厳の滝」を観光しました。
中禅寺湖の水が約100メートルの断崖を一気に流れ落ちる姿は丁度
水量が多い時期でスケールが大きく豪快で見事な姿を見る事が出来ました。
華厳の滝は、
水量の増す梅雨時期と
紅葉期がより美しく見ごろであると説明があり良い時期に観光出来たものだと感激しました。


我々は観光する時間も限られていた為、残念ながら滝つぼに降りるエレベーターに乗る時間はありませんでした。
しかし、上の展望台からも十分「
華厳の滝」と「
紅葉」を楽しむ事が出来ました。


滝の上部には霧が発生し、観光時間が夕方近くなっており少し暗い感じがするのは残念でした。

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- 2007/11/10(土) 05:55:43|
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私は現在何でも食べますし特に酒の肴には下手物と言われる物が大好きです。
私はこの歳になり食べ物で嫌いなものは殆どありませんが、今でも苦手な物は静岡にいながらミカンを初めとする
果物はあまり好きではありません。
但し、味が嫌いと言う訳ではなく、
果物の皮を剥いたり、種を出したりするのが面倒なだけで、
果物を口まで運んでくれれば何とか食べる事は出来ます。
私の一番嫌いな食べ物は、
果物とはいえませんが
スイカは未だに大嫌いであり何十年も口にした事もありません。それに加えて人参を煮たものが嫌いです。
子供の頃は
野菜が全て嫌いであり、特に
野菜の煮た物は本当に食べる事が出来ず、小学校の給食の苦しみは今思い出しても大変な苦労でした。
嫌いな
野菜の煮物が出ても先生の指示で給食を全て食べ終わるまで一人残され、教室の掃除の時間になっても私だけ無理やり食べさせられていた光景を思い出します。
その大嫌いな
野菜の煮物を食べる事が出来るようになったのは、おでん屋で酒を飲みながら嫌いな大根を食べ、おでんの大根は美味しいと感じた瞬間からでした。


話は横道に反れましたが、今度の旅行で「
鮎うるか」を購入して来ました。
簡単に言えば鮎のハラワタを塩漬けにした
塩辛ですが、我々が行くスーパー等には販売されておらず珍しく購入してしまいました。
ビン詰めで販売され「粒ウニ」に似ていましたが、食べても「粒ウニ」に似ており何か寂しい気持ちになりました。
下手物を醗酵させると皆同じような味になってしまうのかも知れません。
私の従兄弟は鮎釣りが得意であり鮎の腸だけを頂き、自分で
鮎うるかを作って見たくなりました。
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- 2007/11/08(木) 18:56:26|
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10月30日の朝新幹線で静岡を出発し、昼過ぎに日光東照宮を観光した後、我々のバスは「いろは坂」を登り
中禅寺湖・華厳の滝を目指しました。
この旅行で唯一
中禅寺湖へ到着した時は天候が思わしくなく、曇っており
男体山を見る事が出来ませんでした。
この
中禅寺湖は、周囲約25キロ、最大水深163メートル、日光を代表する湖で、水面の海抜高度1269メートルは、日本一の高さを誇るそうです。
約2万年もの昔、
男体山の噴火による溶岩で渓谷がせき止められ、原形ができたそうです。


バスガイドさんは途中の
紅葉の状況から
中禅寺湖は
紅葉が終わっているかも知れないと心配していましたが、ドウダンツツジを初めまだまだ
紅葉を楽しむ事が出来ました。
ここには「
サルに注意」の看板があり、ニュースで女性が持っている物を
サルが引ったくる姿が放映されていたのを思い出しました。
現在はなぜか
サルが減っているそうです。

中禅寺湖には、明治時代からヒメマス、ニジマスなどの魚が放流され、いまでは日本有数の釣り場でもあるそうです。
我々が観光している時もボートや岸から釣りをされている皆様が沢山おり、聞いてみると「
ワカサギ」を釣っているそうです。
私は普段「海釣り」をしますが、釣りには何でも興味がありしばらく釣りの状況を眺めていました。
岸からでも結構「
ワカサギ」が釣れてバケツの中で元気に泳ぎ回っていました。
海の魚はバケツに入れても直ぐに死んでしまう魚が多いのですが、「
ワカサギ」の生命力には驚きました。



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- 2007/11/07(水) 18:46:20|
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10月30日より「
紅葉の
日光・会津・裏磐梯・袋田の滝を巡るツアー」で最初に訪れたのが、
日光東照宮でした。
境内に入ると真っ赤に
紅葉した「もみじ」があったりして、
紅葉狩りには最高の時期に観光でき感激しました。
大変有名な観光地でありながら静岡にいる我々には以外に
日光へ行く機会は少ない所です。私はここを訪れたのは今回を含めたった2回目です。
ここは静岡市の久能山
東照宮から
徳川家康公の霊廟が移された場所で、静岡とは大変繋がりの深い場所です。
東照宮を案内される方から、静岡からなぜこの場所
日光に移されたかその理由を聞きました。
静岡の久能山から富士山を見てその延長線上に
日光があるのだそうです。
冗談が多く面白い案内人で本当の事か疑心暗鬼で、我家に帰ってから日本地図で確認すると何と本当にピッタリと合いビックリしました。


元和2年(1616年)4月17日、
徳川家康は駿府(静岡)で死去し、遺骸は遺命により直ちに駿河国の久能山へ葬られた(久能山
東照宮)が、翌元和3年に下野国
日光へ改葬された。
この
日光東照宮は、
徳川家康公の霊廟として元和3年(1617年)に創建され、現在の主要な社殿は、寛永13年(1636年)、三代将軍徳川家光公により大掛かりな造営が行われたものだそうです。
この
東照宮の建築により、日本の代表的な神社建築様式である「権現造」が完成し、また、彫刻や彩色などの建築装飾についても、当時の最高水準の技術が用いられ、本殿・石の間・拝殿、
陽明門など8棟が国宝に、34棟が重要文化財に指定されているそうです。

以下はネットで検索した説明です。
五重塔は、慶安3年(1650年)に造営されたが、文化12年(1815年)に焼失し、文政元年(1818年)に再建されたものである。この塔は、心柱を第四層目から吊り下げ、その下部は礎石上にのらず約10cm程遊離させ、塔の重心を常に中心から外れないようにする力学的な構造が採用されるなど、風害や地震の対策が施されている。


表門を入ると右から正面へ鉤の手-かぎのて-に3棟が並ぶ。右から下神庫-しもじんこ-・中神庫-なかじんこ-・上神庫-かみじんこ-。奈良の正倉院に代表される校倉造り-あぜくらづくり-を模した建物で、春秋の渡御祭-とぎょさい-(百物揃千人行列-ひゃくものぞろえせんにんぎょうれつ-)の1200人分の装束や流鏑馬-やぶさめ-の道具などが収蔵されている。春秋の祭りの1週間ほど前から準備のため扉を開けるので内部をのぞける。
上神庫の妻-つま-(側面)に2頭の大きな象の彫刻があるが、耳の付き方や尻尾-しっぽ-の形が実際とは異なる。東照宮建立時のいわばアート・ディ レクターのチーフだった狩野探幽-かのうたんゆう-が、実物を知らずに想像で彫刻の下絵を描いたことから、「想像の象」と呼ばれている。


神厩は、寛永13年(1636年)に造営されたもので、間仕切り、欄間の変更があったが、他には全く後世の形式変更はない。神厩は、東照宮建築のなかで唯一の素木づくりで、当時の武家の殿舎に用いられた書院造の馬屋の形式にのっとっている。現存する大型の神厩建築の唯一の遺構となっている。
猿は馬の守り神と言われていました。日光東照宮の神厩舎には猿の誕生から妊娠までの一生が描かれ、 その中でも「見ざる言わざる聞かざる」の「三猿」が有名です。


日光で最も有名な建築である陽明門は、寛永13年(1636年)に造営されたもので、屋根の葺き替え、塗装の塗替があったが、彫刻や主要化粧部材は創建のままである。東照宮建築群の中でも最も彫刻などの建築装飾に優れた建物である。彫刻においては、建築構造部材であるべきものの一部を彫刻化したり、構造部材の表面に大規模な彫刻を取り付けたり、羽目板の表面に多数の彫刻を取り付けたりしている。また、漆塗、彩色、飾金具による建築装飾技法が、その表現の特性、耐久性に応じて使い分けられている。


正面及び背面唐門は、寛永13年(1636年)に造営されたもので、屋根の葺き替えがあったが、他には全く後世の形式変更はない。正面唐門は、屋根の四方の軒を唐破風形とし、地紋彫、象嵌や屋根の銅製彫刻など、構造、技巧に優れた技術が見られる。

東回廊の奥社-おくしゃ-参道入り口にある。左甚五郎-ひだりじんごろう-の作と伝えられ、東照宮の数ある彫刻のなかで最も有名な彫刻だ。
眠り猫の真裏に雀-すずめ-の彫刻がある。猫が起きていれば雀は食われてしまうが、東照宮では猫も居眠りして雀と共存共栄。戦乱が治まり、平和な時代がやってきたことを表しているという解釈もある。

鼓楼の後ろにある建物は、本尊が薬師瑠璃光如来-やくしるりこうにょらい-(薬師如来)であることから「薬師堂」、また乱世を鎮めた家康公が薬師如来の生まれ変わりと考えられたので、本来の仏(本地-ほんじ-)をまつったことから「本地堂」と呼ばれる。
本地堂(薬師堂)の内陣天井に描かれているのが、有名な鳴竜。竜の頭の下で拍子木を打つと、天井と床が共鳴して鈴のような鳴き声に聞こえる。もとの絵は狩野永真安信-かのうえいしんやすのぶ-の筆によるが、堂とともに焼失したため堅山南風-かたやまなんぷう-画伯が復元した。

陽明門から左右に延びる廊下が回廊で、総延長220メートル。コの字に本社を囲んでいる。回廊の外側の彫刻は、欄間に雲、胴羽目に花鳥と動物、腰羽目に水鳥というふうに、天・地・水にちなんだものが彫り分けられている。どれも1枚坂の透かし彫り。
東回廊から石の間に通じる20メートルの廊下が御供廊下で、神前に供える神饌-しんせん-を運ぶ。虹梁-こうりょう-に描かれた墨絵-すみえ-の浪-なみ-、雲と鳳凰-ほうおう-が見事。
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- 2007/11/05(月) 06:23:46|
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妻の
旅行の最大の
楽しみは、三度の
食事を作る事を考えず出された料理を食べ
ビールを飲み、後片付けをしなくても良い事だそうです。
我々男には気が付かない部分で喜びがあるようです。
私の
楽しみは、仕事や雑事を忘れ朝から
ビールを飲み、
旅行中はケチらずユッタリとした気分で過ごす事です。
旅行へ行けば勿論色々な所を見学したり鑑賞したりしますが、一番の目的は上に書いた事です。
ですから外国語の分らない我々夫婦が気を使わずノンビリと
旅行をするのは国内
旅行が最適です。

今回ツアーの二日目は、まず朝5時頃眼を覚まし直ぐに大浴場に行きゆったりと温泉に入り、部屋に戻って
ビールを一杯、次は7時からの朝食
バイキングで1杯と思いましたがアルコールが用意してありませんとの看板で、ホテル内自動販売機で
ビールを購入し持ち込みました。
私は
旅行の中で朝食
バイキングで
ビールを飲み
食事を取るときが最も好きな時間です。
和食料理の中で
ビールのつまみになる物を選びユックリと
ビールを飲み、最後にコーヒーを飲んで終わるのが至福の時間です。

昼は会津飯盛山にて釜飯の昼食で、勿論
ビールを注文しました。

バスの移動が長く途中でワンカップを購入しました。

最近どこのホテルでもエレベーターホールの近い所にアルコールの自動販売機が用意されており、私は到着すると直ぐに自動販売機を確認し翌朝の分も含め
ビールを購入し夕食の前に1本飲みます。
勿論私が
ビールを飲む時は妻も必ず一緒に飲んでいます。

夕食には勿論一番沢山飲んでしまい、更に寝る前に飲む事は出来ません。
旅行の時は、飲み疲れで夕食を取った後は直ぐに眠くなり飲んでいる暇はありません。
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- 2007/11/03(土) 09:34:02|
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日光東照宮・中禅寺湖・華厳の滝・鬼怒川温泉・塔のへつり・飯盛山・会津鶴ヶ城・裏磐梯五色沼・袋田の滝・益子焼等のツアー旅行へ夫婦でビール片手に出掛けて来ました。
10月30日から二泊三日のツアーでしたが、天候に恵まれ紅葉も最高の時期に観賞でき、満足出来る旅となりました。
今日は一部の写真を公開し、今後逐次他の写真も公開させて頂きたいと思います。
上の写真は19.10.30日光東照宮の入口に近い境内


19.10.30日光東照宮のメイン観光ポイント「陽明門」


19.10.30日光東照宮内の唯一左甚五郎作「眠り猫」

19.10.30日光の夕闇近い「中禅寺湖」

19.10.30日光の水量豊富な「華厳の滝」

19.10.31初めて名前を聞いた「塔のへつり」

19.10.31会津「飯盛山」白虎隊の墓の右側に亡霊?

19.10.31秋晴れの下、紅葉の向こうに会津「鶴ヶ城」

19.10.31大きな「猪苗代湖」

19.10.31紅葉の裏磐梯「五色沼」

19.10.31夕闇迫る裏磐梯「五色沼」からの「磐梯山」

19.11.1最も感動した茨城「袋田の滝」

19.11.1水量豊富で豪快、霧が飛んで来る茨城「袋田の滝」

19.11.1栃木「益子焼の市」
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- 2007/11/02(金) 11:41:12|
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私達は甲斐に
善光寺がある事を全く知りませんでした。
これもホテルの説明書にあった「タクシー遊覧のコース」に入っていた為、寄って見る事にしました。
「かいてらす」からも5分程度で歩いて来れる便利な場所にありました。
我々夫婦と義母は長野県の
善光寺には何年か前に行った事があり、地下へ下りて初めて経験する全く光の無い真っ暗世界でご本尊様の阿弥陀如来の下にある「
幸運な鍵」を探した事を思い出しました。
驚いた事にこの甲斐
善光寺にも「
お戒壇廻り」が用意されておりました。


この甲斐
善光寺は、
武田信玄が
川中島の合戦の折、信濃
善光寺の焼失を恐れ、永禄元年(1558)、御本尊
善光寺如来をはじめ、諸仏寺宝類を奉遷したことに始まるとありました。
豪壮な山門や金堂は素晴らしく信濃
善光寺にひけを取らない程です。
但し、門前町があるのか金堂と山門の間にある駐車場に入ってしまい分かりませんでした。
また、観光客は我々以外殆んどいなく、少し寂しい気がしました。


先に書きました長野にある
善光寺の「
お戒壇廻り」は、下に下りてから直角に何度か曲りながら「幸運の鍵」を探したと思います。
しかし、この甲斐
善光寺の「
お戒壇廻り」は金堂の中を向かって左側から後ろに回り込むのは同じですが、下に降りてから「心」の字をかたどってあるようで、真っ暗な中を曲面に沿って回り、鍵を探しました。
無事に見つける事が出来、仏様とご縁が出来たと思っています。


さて、この甲斐
善光寺には、金堂中陣天井に、江戸の希斎という画家によって巨大な龍が二匹描かれていました。
説明によると、この部分のみは、吊り天井となっており、手をたたくと多重反響現象による共鳴が起こり、これを「鳴き龍」と呼んでいるそうです。
私達は指示されているポイントで何度も手を打ちグーン、ブーンと唸る「鳴き龍」を楽しみました。
この「鳴き龍」は手を叩いた人間には聞こえるのですが、少し離れると全く鳴き声が聞こえません。反響する微妙な位置があるようです。
我々はこの甲斐
善光寺を最後に自宅のある静岡に向かいました。

甲斐善光寺の説明は下のread moreボタンをクリックしてください。
...read more
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- 2007/09/20(木) 19:43:17|
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山梨県地場産業センター「かいてらす」は甲斐善光寺の入口にありました。
この「かいてらす」はタクシーでの観光遊覧の中に入っており寄って見る事にしましたが、名前を見ただけでは何がある場所なのか見当も付きませんでした。
到着し立派な建物に驚き、また中に入ってまたビックリでした。
この「かいてらす」は山梨県内の地場産業界や地場産業製品を広く一般の人に知って貰うため、観光の拠点施設として、山梨県と甲府市を中心とした57の団体が出資して作られたようです。


上の写真の「水晶玉」は何と3億円の正札が付いていました。
ここには地場の貴金属や高級な宝飾品が所狭しと展示され、人間国宝の皆様が作られた素晴らしい伝統工芸品も多数展示されていました。
記念に何か購入したくても我々にはなかなか手が届く物はありませんでした。
勿論、普通の山梨県の土産物も販売されており、我々はそちらで土産を買い求めました。


土産物を販売している奥のどっしりとした重厚感のある立派な部屋には、膨大の種類の地場産ワインが展示されていました。
山梨県の地場産品は精密で精巧な手工芸品が多く、昔から伝統工芸がそのまま引き継がれているようです。


我々の静岡県にはこんな立派な地場産品を展示する施設もありませんし、展示するものも無いかもしれません。
でも、江戸時代に徳川家康が葬られている久能山東照宮を造営する時に全国から集められた大工や工芸家がそのまま地元に住み付き、木工家具、雛具、蒔絵等の工芸品は少しあるのかも知れません。
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- 2007/09/15(土) 22:12:27|
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我々は円光院で
武田信玄の
正室三条夫人が眠る
墓を見た後、近くに「信玄公の
墓」と言う表示があり立ち寄りました。
この
墓は畑の一角にポツンと桜の木に囲まれた小さな場所にあり、あの
武田信玄の
墓とは想像も出来ませんでした。
武田信玄の
墓とネットで検索すると他に立派な
墓があるようです。


説明によると、この場所は
武田信玄が秘密裏に荼毘に附された場所のようです。
天正元年(1573)4月12日、信玄公は信州伊那の駒場の陣中にて53歳で逝去され、信玄公の死は3年間秘密にされました。
その間ひそかに荼毘に附され、埋葬されたのが、この場所で円光院にほど近い土屋右衛門の邸でした。
円光院は4月12日の忌日の廻向そのほか供養は、円光院で行っているそうです。
丁重に3人で手を合わせて来ました。
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- 2007/09/10(月) 18:35:25|
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