

昨年5月にスペイン・ポルトガルを旅行し撮り溜めた写真の公開をサボっており、遅ればせながら徐々に公開したいと思います。
我々は2泊目マッサルファサールのホテルを朝9時にバスで出発、西方へ213㌔離れた「宙吊りの家」があるクエンカを観光、スペインのほぼ中央にあるマドリードのホテル連泊しました。
本日はマドリードの王宮を中心とした半径2㌔程にあるスペイン広場、プラド美術館、国立ソフィア王妃芸術センターを観光した様子を書きたいと思います。


スペインの首都・マドリードは、海抜646mのスペイン中央部のメセタ(中央台地)地帯のマンサナーレス川沿いに広がる都市で、スペインの行政の中心地で、イベリア半島の経済の中心地の一つになっており人口は約 325万人だそうです。
スペイン経済の中心は我々が最初に観光し、現在独立を希望しているバルセロナに軍配があがるようです。
さて、この日朝一番に人気観光スポットとなっている王宮北側にある「スペイン広場」で「ドンキホーテとサンチョ・パンサの像」などセルバンテスを記念した像を見学しました。

スペイン広場の周りは近代的なビルが林立していますが、ロココ調のお洒落な建物が広場の入り口にありました。


王宮んの東側に位置し歴代のスペイン王家のコレクションを展示するプラド美術館、コレクションの基礎はフェリペ2世とフェリペ4世が築き1819年に「王立美術館」として開館し1868年の革命後「プラド美術館」と改称されたそうです。
イタリアのウフィッツ美術館、フランスのルーブル美術館などと同じく添乗員に加え、専門のガイドが2人ほど付いてツアー仲間が分かれてイアホンガイドを着け、有名作品等を中心に効率よく案内してくれます。美術館でも特別ルーブル美術館はモナリザなど写真撮影が許可されていたと思いますがプラド美術館と、この後訪れた国立ソフィア芸術センターは撮影不可でした。


現在は文化省所管の国立美術館、ベラスケス、ゴヤ等のスペイン絵画に加えて、フランドル、イタリア等の外国絵画も多く所蔵しており、これは、スペイン王室のコレクションにフランドル絵画が多数加えられた16世紀から17世紀にかけて、フランドルがスペイン王室の領土であったことが背景にあるそうです。

我々が観賞したフランシスコ・デ・ゴヤ『着衣のマハ』 写真は公開されている物をお借りしました。


フラ・アンジェリコ 『受胎告知』 写真は公開されている物をお借りしました。


ソフィア王妃芸術センターは、プラド美術館から南に1㌔もない位置にあり、フアン・カルロス1世の王妃ソフィアにちなんで名付けられた。20世紀の近現代美術を中心に展示されているそうです。


メインの建物となるサバティーニ館は、18世紀にカルロス3世が、イタリアの建築家フランチェスコ・サバティーニに命じて設計させた病院を改築したもの。サバティーニ館の南側に2005年、フランスの建築家ジャン・ヌーヴェルの設計による新館が増築されサバティーニ館は珍しく高層で1階から4階までの4フロア、新館は0階と1階の2フロアで構成されている。

ピカソの代表作『ゲルニカ』は、スペインへの「里帰り」後、プラド美術館別館から本美術館に移さる。
私はピカソの「ゲルニカ」だけはこの旅行で最も見たいと思っていた作品であり、大きく迫力のある作品に圧倒され興奮しました。
「ゲルニカ」の超小型版を購入し我家に飾ってあります。写真はお借りしました。

パブロ・ピカソやサルバドール・ダリ、ジョアン・ミロなどの作品を多く所蔵する。
下のダリの作品は写真撮影が許されていました。



マドリード王宮は、スペイン・マドリードにある宮殿、オリエンテ宮とも呼ばれ、スペイン王の王宮です。実際には国王や王族は住んでおらず、彼らは郊外にあるマドリード王宮より小さなサルスエラ宮殿に好んで暮らす。しかし、マドリード王宮はいまだ国の行事に使用されており、宮殿はスペイン政府の所有と説明がありました。
我々は前日のクエンカ観光をした後、5月のスペインは日が長く時間に余裕がありホテルへ入る前に王宮と土産物屋だけは前日に観光をしてしまいました。

我々は王宮の中へ入っての観光はなく東側から大きな王宮を眺めるだけでした。

オリエンテ広場は、スペイン、マドリード中心部にある広場,,スペイン王ホセ1世が中世以来の住宅が立ち並んでいた場所を一掃させ、ナルシソ・パスクアル・イ・コロメルによって広場が完成した。マドリード王宮の東側にあることから、オリエンテ(東)広場と名づけられた広場の東側はテアトロ・レアル、北側はラ・エンカルナシオン修道院だそうです。


オリエンテ広場の中心にフェリペ4世騎馬像があり目立ちます。
イタリア人彫刻家ピエトロ・タッカが、ディエゴ・ベラスケスの描いた肖像を参考に頭部をつくり、胸部をフアン・マルティネス・モンタネスがつくった。父フェリペ3世の騎馬像より優れた自分の像が欲しいというフェリペ4世が望み、命令を受けたオリバーレス伯公爵ガスパール・デ・グスマンが具体的に騎馬像製作の指示を出し、1843年、イサベル2世の命令でオリエンテ広場に設置されf像は東を向いていると悦明がありました。

我々は王宮を見た後、オリエンテ広場を横切り少し南に行った所の土産物屋に案内されましたが、私は興味なく直ぐに出てきて目の前にある広場で休んでいると、写真にある犬を従えトランペットを持ち、横にリズムボックスを置いたおじさんがトランペットを吹きだしました。

このトランペットの音色が周りの古いビルに反響し、私の若い頃流行したニニロッソの「夜空のトランペット」など哀愁の籠った曲を演奏し懐かしく聞きほれてしまいました。
私はおじさんの前に置かれているトランペットケースへ1ユーロを2度投げ入れました。


トランペットの演奏を聴きながら広場を横切る人達を問題ない程度に撮影させて頂きました。


アメリカの西海岸へ訪れた時の中年女性はふくよかな女性が多かったと思いますが、この広場を横切る女性は素晴らしいいスタイルを維持した人が殆どでした。

