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(NO1)トルコ10日間ツアーへ夫婦で参加

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カッパドキア

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我々夫婦は3月19日よりトルコの中部及び西海岸を巡るツアーへ8泊10日で参加して来ました。
静岡の我家を出て新幹線と成田エクスプレスで成田へ、そこからトルコ航空でイスタンブールへ、更に飛行機でアンカラへ行き、そこからバスで一泊目のホテルへ到着するのに23時間経過していました。
気候的には日本と同じ程度の緯度にあり、イスタンブールではチューリップが咲き乱れ、天気にも恵まれ今回も素晴らしい旅が出来ました。
但し私は1ヵ月前より始まっていた風邪が本格的になり、熱はないが咳と痰に悩まされかなり苦しい旅となりました。
トルコは非常に親日的で安心し観光出来ましたが、面積的には日本の倍以上あり毎日の移動距離が長く、VIPバスを利用しての移動でしたが厳しい所もありました。
トルコでは紀元前1300年位前の遺跡からギリシャ・ローマ・ビザンチン・セジュール・オスマントルコ等歴史の遺跡やカッパドキア・パムッカレ等の自然を観光しました。
カッパドキアでは念願の気球に乗り、音のない風任せの素晴らしい空の旅を楽しむ事が出来ました。
これから徐々に詳細をこのブログにて報告させて頂きたいと思います。


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気球遊覧

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ハットゥシャ遺跡

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ヤズルカヤ遺跡

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メヴラーナ博物館

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パムッカレ

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エフェソス遺跡

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アスクレピオン遺跡

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トロイの遺跡

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メリチ橋

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エディルネのセリミエモスクとエスキモスク

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イスタンブールのガラタ塔

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トプカプ宮殿

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地下宮殿

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イスタンブールのブルーモスクとアヤソフィア

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ボスフォラス海峡クルーズ

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(NO2)アンカラからハットウシャシュ遺跡へ

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本日4月10日になりますが私はトルコ旅行から3月28日に帰国し未だに時差ボケがあり、普段朝5時過ぎにスキット起きていたものが、7時過ぎまで寝てしまい起きてもボケっとし直ぐに行動が出来ません。
4月から自治会の会計を担当し、帰国早々引き継ぎや自治会費集金等の関係で忙しく旅行の写真の整理も出来ませんでした。
ここへ来て少し落ち着いて来たのでトルコ旅行のブログを書く事にしました。

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我々夫婦は3月19日朝6時半に我家を出発し、新幹線、成田エクスプレスを乗り継いで成田へ、トルコ航空でイスタンブールへ更に飛行機を乗り継ぎアンカラのホテルへ到着したのは23時間後でした。
翌20日(木)アンカラのホテルを8時にバスで出発し210㌔先のボアズカレにあるハットゥシャシュ遺跡に向かいました。

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バスはVIPバスで3列のゆったりとしたシートでしたが、今回のトルコ旅行はトルコの中央と西側部分をバスで2300㌔と移動するバス旅行でした。
私はバスの中でもなるべく寝ないで車窓の景色を楽しみカメラで撮影を続けました。


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アンカラからボアズカレにあるハットゥシャシュ遺跡までは、なだらかな丘陵地帯で日本の北海道のような景色が続きトルコが農業が盛んな国である事が分かりました。
トルコは中東では珍しい政教分離の国ですが、国民の大半は一応イスラム教徒で小さな町には必ず尖塔を持つモスクがありました。
トルコのイスラム教徒はアルコール自由で、一日5度の礼拝や断食なども余り行わず、一夫多妻は許されていないそうです。

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さて、本日紹介するハットウシャシュ遺跡は初めて鉄を製造した民族として知られているヒッタイト人の首都だった遺跡のある村です。
トルコの首都アンカラから約210kmの位置にあり、トルコ語でボアズカレは峡谷の城という意味で、自然の要塞とも言える峡谷を挟む両側の台地上に遺跡が広大に広がっていました。
大神殿跡から復元された城塞の向うにボアズカレの街を臨む事が出来ます。

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ハットウシャシュ遺跡について・・・・・
この地域は紀元前6000年頃から人が住んでいた形跡が見つかり、その後紀元前2500年頃からは小さいながら町を形成し幾つかの集団があり、その中の一つの集団はハッティと呼ばれていました。
紀元前1900年頃、彼らを支配したのがインド・ヨーロッパ語族の一派であるヒッタイト人で、彼らは町を破壊し一時は放棄したのですが、1650年頃王ラバヌラ(ハットゥシリ1世)の時代に再びこの地に舞い戻りここの自然の要塞という地の利に目をつけヒッタイト帝国の首都としました。
1530年にはメソポタミアのバビロニア王国を滅ぼし、1285年にはラムセス2世のエジプト王国とシリアのカデシュで衝突し撃退し大帝国を築いたのですが、1190年頃地中海起源の民族混成集団といわれる「海の民」により滅ぼされたと言われています。


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ハットウシャシュ遺跡は小高い丘を利用し下から上にと街が広がって行ったようで、広大な土地に遺跡が点在し遺跡の中をバスで移動しました。
驚いたのはこの広い遺跡を観光していたのは我々のバス1台のみで驚き寂しい感じがしました。


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ハットゥシャシュの遺跡は城壁,家屋とも石の基礎と日干しレンガ,木材の組み合わせでできており,3500年の歳月は石以外のものをすべて取り去ってしまい現在残っているの礎石だけになっています。
下の写真の青い大きな礎石は遺跡の中で目立っており、ガイドさんが説明していましたが聞き洩らしました。

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この広大な遺跡の中に少し樹木もありましたが下の写真のような見たことも無い植物もありました。

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有刺鉄線で囲まれた世界遺産の遺跡の中にヤギが放牧されており驚きました。

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大神殿の跡を見学しバスに乗りつづら折り道を登ると,途中から城壁の遺構に沿うようになり,ライオン門に出ました。
この門は非常に厚みがあり,中央から少し外側の部分に内側に傾いた直方体の二体の巨石が立っている。
この門がライオン門と呼ばれているのは外側のアーチ石の前に二体のライオン像が置かれているためである。これらのライオン像はまさしく外敵を威嚇する守護神の役割を果たしていたようです。

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片方はライオンの顔が綺麗に残っており、ライオンの肌には模様が彫り込まれていました。

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上の写真はライオンの門を城壁の内側から外側を眺めたものです。門を通り越した向う側の大石にライオンが刻まれています。

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遺跡の南端にある「スフィンクス門」は都城の最も高いところに位置し、南側の斜面は比較的なだらかになっており、ここを防御するために傾斜をつけた土手状の石垣が造られ,その上にさらに城壁があったようです。
スフィンクス門は傾斜地の石垣にあけたトンネルになっており,ここから密かに兵士が抜け出し,敵の背後を急襲する役割を担っており、このトンネルは大きな石を三角形に組んで最上部には要石が置かれている。

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上の写真案内図の上段にトンネルの断面図が掲載されており、我々はトンネル右側から入り下って、左に抜けトンネル上部は大きなピラミッドの様に斜面が整然と石で覆われ、その石の斜面を大きく迂回してピラミッドの階段を息を切らして登りました。


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このピラミッドの様な城壁の上に「スフィンクス門」と更に城壁が出来ており、この城壁を突破するのは至難の技であった思います。

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「スフィンクス門」左右には写真のようにお地蔵さんのような面白い顔を刻んだ大きな石がありました。

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上の写真はお地蔵さんの顔をした門の後ろ姿です。

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上の写真はピラミッドの上にある「スフィンクス門」から東へ延びる長い長い城壁です。
下の写真はスフィンクス門から下を見ると北側斜面に複数の建物の遺構が点在しているが、航空写真では一まとまりの建物だと分かるそうです。地上から見る限りでは想像が出来ません。

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南東にある王の門は外側に兵士のレリーフがあり,当初は王の像とされたため,そのような名前になったそうで、往時の名前とはまったく関係なく門の近くの像やレリーフにちなんで名付けられたようです。
このレリーフが彫られている石は博物館に納められており,ここには真新しいレプリカが置かれていた。

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この大城塞付近に書庫があったようで、粘土板に楔形文字で記された1万枚もの文書が発見されたということです
この中に2000kmも離れたエジプトのラムセス2世とヒッタイト王ハットウシャシュ3世の間で交わされた平和条約の書簡が発見され、エジプトのカルナック神殿にも同じ内容のものが発見されているそうです。


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(NO3)ヤズルカヤ遺跡を観光

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我々は3月20日アンカラからバスでボアズカレの世界遺産ハットゥシャシュ遺跡を観光し、直ぐ近くにあるヤズルカヤ遺跡に到着しました。
ヤズルカヤ遺跡は紀元前13世紀のハットゥシリ3世時代に造られた「文字のある岩」という意味の遺跡です。

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ここヤズルカヤ遺跡も観光していたのは我々ツアーの仲間だけでしたが狭い場所にあり大勢で押し寄せても壁画等を見る事は難しくなるかも知れません。
上の写真は遺跡の入口にある小さな土産小屋と下の写真はトルコ人(コーサカス系)29歳独身の美男ガイドのエルさんです。
エルさんの家は3代続いてガイドを職業としているそうで、エルさんも大学時代日本語を専攻し国家試験を取得してガイドになったそうです。世界の宗教について勉強しており日本の古代の歴史から宗教について我々よりも数倍精通しており驚きました。

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ヤズルカヤ遺跡は紀元前13世紀頃の岩場を利用した露天神殿で、神殿は大ギャラリーと小ギャラリーのふたつに分かれていて、ここで宗教的儀式やヒッタイト王の葬儀が行われたそうです。
ヒッタイト帝国は世界初めて鉄を使い強力な軍隊で領土を拡大するが、占領した地域の人々が崇拝する神をそのまま認めたためヒッタイトは千の神々をもつ多神教信仰の国だそうです。

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風化により形がよくわからないものもありますが、それぞれ岩には沢山のレリーフが彫られています。

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上の写真は狭い通路の上に岩が挟まっている小カマラへの入口ですが、小カマラの中から撮影しました。

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小カマラの内部は幅が3m位の狭い通路のようで、左側岩壁に冥界王ネルガルと剣神シャルマと右側岩壁には12人の黄泉の国の神々の行進が掘られていました。

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冥界王ネルガルのレリーフのようです。

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(4)カッパドキアのパシャバー地区キノコ岩

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平成26年3月20日(木)にアンカラのホテルをバスで出発し、ボアズカレの世界遺産ハットゥシャシュ遺跡、ヤズルカヤ遺跡を観光、昼食を取った後なだらかな高原地帯で牧草地や畑が延々と続く240㌔をバスに揺られ、夕方カッパドキアのバシャバー地区へ到着しました。
私は今回の旅行までカッパドキアが100㎢と広大な台地に跨っている事は知りませんでしたし、色々な観光ポイントがあるのも分かりました。
我々はカッパドキアの高級な洞窟ホテル(ジャグジー付き風呂)へ2連泊し、早朝気球にチャレンジし一日目は風でキャンセル2日目に快晴無風の中素晴らしい空から観光と楽しみましたが、この件は後日このブログで報告します。

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パシャバー地区は、道路の両サイドに平屋の簡素な土産物屋が10数軒立ち並び、その奥にキノコ形の岩が林立していました。ここには簡易舗装された遊歩道があり、夕方で観光客も少なくゆっくりと観光する事が出来ました。


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中にはラクダがいて、ラクダに乗って観光する事も出来るようです。

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キノコのシメジに似た岩が林立しており、岩には穴が掘られたりしているものがあり、住居や倉庫として利用されていたそうです。

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シメジ型でも色々な形をしている岩が沢山林立していますが、高さは殆ど一定の20m前後で、柔らかい地層と固い地層が重なり、川の水や雨で浸食されこの形が出来たようです。
パシャバー地区のキノコ岩は下の写真を見ると成り立ちが推測出来ると思いますが、大昔火山が何度も噴火を繰り返し溶岩や火山灰で固い地層柔らかい地層が重なる山に、上に固い玄武岩があった部分は雨などから浸食免れ現在の形が出来たのだと思います。

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カッパドキアは高原で冬には雪も降るようですが、我々が訪れた3月下旬は日本と同じ様に梅や桜に似た花が咲き出していました。
木々が所々に植えられ、綺麗に整備された遊歩道もあり気持ち良く散歩する事が出来ました。

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トルコは火山があり当然地震もあるようですが、上の写真のような軸の細いキノコ岩も残っていました。

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(5)一泊目のホテル「ラディソン ブル アンカラ」

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我々は3月19日(水)朝6時30分に静岡市の我家を出発し、東海道新幹線、品川で乗り換え成田エクスプレスで成田、トルコ航空で約12時間イスタンブール着、更に飛行機を乗り継ぎ1時間でトルコの首都アンカラへ、更にバスで本日紹介するホテル「ラディソン ブル アンカラ」へ通算23時間掛けて到着しました。
今回のツアーは総勢25名で夫婦が6組、母と娘、おばさんグループに男性一人とやはり年寄りの多いツアーでした。
海外旅行には新しい発見があり嫌いではありませんが、長時間の飛行機で腰が痛くなり靴を脱いでいると足がむくんで靴が入らなくなったり、朝食がどこも同じビュッフェ形式でパンと玉子、チーズ、ベーコン、サラダ、果物等で種類はありますが純和風好みの私には耐えられません。
逆に日本のホテル朝食ビュッフェは大好きで、ビールのツマミになる総菜が多く、朝から必ずビールを注文します。
ちなみに、トルコ人は90%以上がイスラム教徒ですがアルコールは自由と聞き、ホテル朝食時にビールを注文すると全てのホテルで断られました。
今回はインスタント食品と湯沸かしポットを持ち込み、朝食に行く前に部屋で私だけ食べてからレストランへ向かいました。
半分のホテルには湯沸かしポットがセットされていました。

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日本からトルコへ入り一泊目のホテルで夜10時過ぎに到着し朝も早く出発するのでビジネスホテルでも良いくらいですが、「ラディソン ブル アンカラ」はアンカラ中心部に位置し、同市の有名なテーマパークや、アタチュルク廟、アンカラ城砦の素晴らしい眺めが自慢で政府関連の建物やトルコ中央銀行に近接していると説明がありました。

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トルコイスラム国家の最初のホテルで少し心配になりましたが、他のヨーロッパ諸国のホテルと全く遜色なく、湯沸かしポット、セーフティボックス、ヘアドライヤー、冷蔵庫等全て整い、風呂も大きな湯船があり、ゆっくりと休む事が出来ました。

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ホテルの窓からは少し霞んでいましたが、説明の通り同市の有名なテーマパークや、アタチュルク廟、アンカラ城砦、政府関連の建物やトルコ中央銀行等が見えるようでした。

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この日は持ちこんだインスタント食品を食べる事無く、ホテルのビュッフェ形式の朝食に向かい、上が妻がチョイスしたもの、下が私が選んだ朝食です。トルコは農業国で生野菜豊富に用意されており驚きました。
私は果物が殆ど嫌いで、野菜も好んで食べる方でなく、ビールのツマミにと好きなオリーブの実とチーズを選んだのですがビールを断られショックで良く分からないスープと塩辛いチーズにオリーブの実を食べました。

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下の27人乗りVIPバスが、これから我々を8日間2300㌔運んでくれました。

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(6)カッパドキアの洞窟住居を訪問

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平成26年3月20日(木)にアンカラのホテルをバスで出発し、ボアズカレの世界遺産ハットゥシャシュ遺跡、ヤズルカヤ遺跡を観光、昼食を取った後なだらかな高原地帯で牧草地や畑が延々と続く240㌔をバスに揺られ、明日の予定を早め夕方カッパドキアのバシャバー地区を観光し、更に洞窟民家まで訪れました。
この予定を早めてくれた事が我々に気球ツアーに2日チャレンジする機会を与えてくれました。

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ツアーの日程には洞窟民家訪問とはありましたが、現在も家族が生活している民家をツアー25名全員で訪問するとは考えてもいませんでした。
我々が訪れた時間は夕食前で我々の国では主婦が一番忙しい時間だと思いましたが、トルコ人のガイドは勿論途中で家主と連絡取り合っての訪問だと思いますが、全く居住者に気にする事なくお邪魔してしまいました。

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訪れた民家はカッパドキアのあちこちで良く見る円錐家の岩の家で、3階建になっているようですが、我々が案内されたのは2階のリビングの様な大広間でした。ツアー25名とガイド・添乗員に加え家主の家族4名位入っても充分余裕がありました。
洞窟住居の始まりは4000年ほど前の鉄を駆使したヒッタイト時代という事で驚きました。
天井までの高さが2m弱で玄武岩の岩をくり抜いて窓もあり、私が座った場所は床が少し斜めになっていましたが、現在は日本の文化財と同じ様に指定され建物に手を加える事は出来ないそうです。

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床には全て絨毯が敷かれ、壁の至る所に絨毯で出来た飾り物が掲げられていました。
この洞窟民家は夏涼しく冬は暖かい様ですが、大広間の中心には石炭ストーブが設置され薄型のテレビも置かれていました。

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大広間には家族も立会い、母親に高校生位の娘二人に弟が一人いました。
ガイドから家族に質問はないかとの事で、我々ツアーの仲間から色々質問がでましたが内容は忘れてしまいました。

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途中で娘さんが我々に洗剤を手に吹き付けてくれた後、お茶かリンゴティーを配ってくれました。
夕食の事を聞くとこれから用意するとの事でした。

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大広間の片隅には、絨毯を織る器械がセットされ、日本でも昔観た事がある旧型のミシンも飾られていました。

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1階のキッチンは明るく綺麗に整理され、造花や写真で飾られ冷蔵庫もあり近代的な感じがしました。
外には大きなパラボラアンテナがあり、主人は石職人とぶどう造りをしているそうですが、観光用に自宅内部を見せる事により裕福な生活をしている感じがしました。

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(NO7)カッパドキア気球キャンセルに(>_<)

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我々夫婦は今回のトルコ旅行で最も期待していたオプションの「カッパドキア気球ツアー」にチャレンジしました。
トルコ旅行3日目26年3月21日(金)朝4時半過ぎにツアー会社の車がホテルに迎えに来て、我々のツアー25名中我々夫婦ともう1組の御夫婦が4名参加しました。我々は殆どのツアー仲間が気球ツアーに参加するものと思っていましたが、あまりの少なさにビックリしてしまいました。
前日のバスの中で気球ツアーの素晴らしさについてガイドや添乗員が何度も説明していましたが、参加人数が少なくて何度も勧誘したものと後で分かりました。
朝の4時半は3月であり真っ暗ですが、ホテルの外に出るとイスラム教の「コーラン」が街頭のスピーカーから大音量で流れており、これにも驚きました。
この日の天候は曇りがちで風が強く、私は海の船釣りをしますが風が強いと波が高くなり出船できないので、嫌な予感がしました。

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我々は迎えに来たツアー会社の車に乗り、途中2箇所のホテルで更に気球に乗る人達を乗せて、ツアー会社のホテルのロビーのような待合室で軽食を取りながら50~60人と出発を待ちました。
やはり風が強く、現在気球の管制塔の許可降りないので暫く待つようにと支配人らしき品の良い紳士から英語と我々日本人でも驚く程の綺麗で流暢な日本語で説明がありました。

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途中で何度もツアー会社の人から説明があり、支配人らしき人がいないと英語だけの説明で困りましたが、他の日本人ツアーに添乗員がいて我々にも親切に説明してくれ助かりました。
我々ツアーの添乗員は参加人数が少ないので付き添いをサボったのかも知れません。
我々はカッパドキアに2泊しましたが翌日は朝から予定があり、気球に乗るチャンスは本日だけだと思っており、1時間以上も待たされ何とか出発してくれる事を祈りドキドキ、イライラと大変でした。

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7時位まで待って一応現地に行くと言う事で喜んで7~8台のバスに別れて乗り込み、谷の中にある荒野に入りました。
既にあちこちで気球が用意され半分位膨らんでいる気球や立ちあがっている気球もありました。
しかし、風が強く出発した気球はなく、気球を膨らませても風で煽られ、気球が変形してしまう様子を見て、またまた心配になりました。

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我々のバスは荒野の中を走り我々が乗船する気球に辿り着きましたが、気球を操縦するパイロット自ら説明があり、現状は風が強く7時半まで待って結論を出すとの事になりました。
周りを見ていると勿論飛び立つ気球はなく、膨らんでいた気球を畳む物が増えて来ました。
結局7時半になりパイロットから本日はキャンセルになると説明があり、トルコ旅行で最も期待していた気球ツア―に乗船できないと泣きたい気持ちになりました。

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気球ツアーがキャンセルになると一人22千円は返金されと知りましたが、我々はどうしても気球に乗りたく同行した一緒のツアー夫婦と明日再チャレンジをすべく朝の出発時刻変更して貰うよう添乗員とガイドに交渉しようと言う事になりました。

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我々は気球ツアー会社の車でホテルまで送って貰い急いで朝食を取りました。
気球ツアーのキャンセルについて我々夫婦全く想像していませんでしたが、良くある事のようでガイド・添乗員も昨日の日程を早めてあり、明日の再チャレンジが簡単に認められました。
翌日は360度雲一つない快晴無風の中を100個以上の気球と一緒に遊覧飛行する事になりましたが、ブログは改めて書きたいと思っています。

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(NO8)カッパドキアの「カイマクル地下都市」を観光。

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我々は26年3月21日(金)朝早くから気球ツアーにチャレンジしたがキャンセルとなり意気消沈し、ホテルへ戻って食事を取り皆と一緒にカッパドキア観光に再び向かいました。
ツアーの予定を早め昨日からカッパドキア観光を初めており、当日も予定とは全く違う順番でカッパドキアの中を一日中観光しました。
最初に訪れたのはカイマクルの地下都市でカッパドキアには現在36箇所の地下都市が確認されているそうです。

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お尻を見せて我々の前を屈んで歩いている方は今朝の気球ツアーに我々夫婦と参加した身長が180㎝位ある年齢は我々よりも年上でありながらスタイルも風貌も若々しい秋田のおじさんでした。

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カッパドキアの地下都市はキリスト教徒がアラブ人の迫害から逃れるために作られたそうで、台所や食糧庫、ワイナリー、教会、家族ごとの部屋が完備し、地下都市に入ると通路の高さは160~170cm、立って歩くのはかなり窮屈で、当時生活していた人々の体格は小柄だったのかもしれません。

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下の写真は石臼が残っておりワイナリーがあった場所かな?
私は観光していても写真撮影を優先し、ガイドや添乗員の説明を殆ど聞いていなく、妻が一緒にいないと集合時間も分からない程です。
旅行へは妻がいるから出掛ける気分になりますが、私は友達などと泊りで出掛けると他人に大迷惑を掛ける「イビキ」の持ち主でもあり参加を躊躇しています。

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我々が観光したカイマクル地下都市には、2万人が暮らしていたそうで、なかでも一番規模の大きいデリンクユ地下都市には4万人もの人が暮らしていたそうです。両地下都市は9Kmも離れているのに、つながっていると聞いて驚きました。

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この地下都市はローマ帝国の迫害を逃れてこの地に辿り着いた初期キリスト教徒たちが隠れ住み、何世紀もかかって掘り進められて拡張されてきたが、作られた年代は謎に包まれているそうです。
紀元前から存在し、初めて鉄の道具を駆使したヒッタイトによって作られたと考えられているそうです。
ガイドに説明を受けていますが地下都市の何階部分にいるのか覚えていません。

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暗い中に大きな丸い石がありますが、これは外敵が侵入するのを防ぐため、この丸い石を転がして通路を塞いでしまうものだそうです。
この暗い蟻の巣のような狭い世界に2万人もの人が生活していたとは、とても想像も出来ません。
地下都市には井戸が何本も掘られており、換気は深い縦坑があり、そこから横に換気出来るようになっていたようです。
私はアレルギー性鼻炎で悩まされており、この地下都市は暗くてあまり埃を見る事はありませんでしたが、私の鼻は充分埃を感じ鼻がムズムズして困りました。

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カイマクルの地下都市入り口で撮影しました。

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我々バスの駐車場から地下都市の入り口までの間には他の観光地と違い立派な土産物屋が沢山ありました。
青い魔除けの目玉が一番目立っていました。妻は昨日夕方訪問した洞窟住居のお母さんから購入していましたが、同じ物が安く売られており、観光地により価格は大幅に相違していました。
貧しい恰好で土産物を売っている人達もいましたが、ガイドによると実は大半の人がお金持ちであると説明がありました。

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(NO9)カッパドキアの「鳩の谷」を

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我々は26年3月21日(金)朝早くから気球ツアーにチャレンジしたがキャンセルとなり意気消沈。この日最初に訪れたのはカイマクルの地下都市を腰を屈め観光し、バスで本日紹介する「鳩の谷」へ到着しました。
ここは高台にあり「鳩の谷」越しに雪に覆われた富士山に似た山を観る事が出来ましたが名前は忘れました。

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ここ「鳩の谷」にはカッパドキア独特のキノコの様な岩はありませんでしたが、谷の岩場に沢山の穴が空いており、昔その穴に鳩の糞を集めて、周辺のブドウ畑の肥料にしていたと説明がありました。
谷底の岩場にも窓や出入り口と思われる穴が沢山空いており、中には大きな神殿を思わせる立派な物もありました。

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「鳩の谷」には勿論鳩達もいましたが、日本のスズメと同じ鳥がいました。
スズメは全世界共通かも知れませんね。

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ここにも露天の土産屋さんがあり、「ナザール・ボンジュー」と言う青い目玉の形をした魔除けのお守りが沢山売られていました。
土産物屋の前の木にも沢山の、「ナザール・ボンジュー」が吊り下げられていました。
これらのお土産はどうも中国で造られているようです。

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我々はバスで「鳩の谷」の上に来てしまいましたが、本来はここを下って行くと鳩の糞を収集した場所があり、今でも鳩が沢山いて餌をねだって来るそうです。
また、谷の下部は岩で迷路のようになっており、遭難する人も出る事があるようです。

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我々はこの後、カッパドキアで最も目立つ「ウチヒサール」を後方から観光しました。
巨大な奇岩に穴を開けた住居が膨大にあり要塞の様に見えますが、実際は鳩の糞を集める窓もあり写真で感じるよりはよりは小型で、現在ここで生活している人はいないそうです。
頂上には国旗がはためいていました。

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(NO10)カッパドキアのウチヒサールを

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我々夫婦は26年3月21日(金)朝早くから気球ツアーにチャレンジしたがキャンセルとなり意気消沈。この日最初に訪れたのはカイマクルの地下都市を腰を屈め観光、更にバスで「鳩の谷」を見て、本日紹介する「ウチヒサール」の周りを観光しました。
上下の写真は「鳩の谷」から近い所にありカッパドキアで最も高地にある岩の要塞「ウチヒサール」を撮影しました。
写真では分かりませんが要塞は2個の大きな岩で出来ており、頂上にはトルコ国旗が風に揺られ大勢の人が岩山を登っていました。頂上では360度のパノラマが楽しめるそうです。
要塞の上方の穴は鳩の糞を集めて葡萄畑の肥料にしたそうで、下の部分にはマンションのように住居跡が残っていますが、現在は住んでいないようです。

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バスが停車した先には道路に添って土産物屋が沢山並んでいました。

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我々は「鳩の谷」からバスで裏側へ回り込み、「ウチヒサール」要塞が全く違って見えました。
表側からは住居も沢山見えましたが、北側になる裏側には土産物屋以外に建物はなく、要塞も国旗が掲げられている岩ともう一つの岩がハッキリと二つに分かれて見えました。

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「鳩の谷」から見た要塞へは頂上へ登る観光客の姿が見えましたが、こちらからは国旗は見えても全く人の姿はなく、鳩の糞を集める穴が空いた大きな奇怪な岩が二つ見えるのみでした。
しかし、景観はこの裏側の方が趣があり素晴らしいと思いました。

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カッパドキアは雪も降るそうですが、我々が訪れたのは3月の下旬で春が来たよと、草が芽吹きサクラに似た花が咲き出していました。

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「ウチヒサール」要塞の左側上方見ると、上には町があるようでモスクの尖塔が見えていました。
高い要塞までの斜面には円錐形をし、昔住居として使用されたような大きな岩が沢山あります。

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要塞に向かって遊歩道が設けられており要塞の下まで行けるようでしたが、我々は時間もなく近くを散歩するだけで、カッパドキアの長閑な春を満喫しました。
我々はカッパドキアを二日間に渡り色々な場所を観光しましたが、私はこの場所が最も好印象を持っています。

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上の写真が今回のトルコ旅行で撮影した膨大の枚数の中で最も好きな写真です。

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春ウララの気候に浮かれて陸ガメもノンビリと散歩を楽しんでいました。

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土産物屋にはサクラの木か分かりませんが植えられており、花がポツポツと咲き出していました。

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春ウララの長閑な雰囲気の中で、ノンビリと地元の人が寛いでいました。

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続いて土産物屋が並ぶ前をバスで通って、ギョレメ村が一望できる場所に向かいます。

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(NO11)カッパドキアの「ギョレメ村」を望む。

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我々夫婦は26年3月21日(金)朝早くから気球ツアーにチャレンジしたがキャンセルとなり、この日最初に訪れたのはカイマクルの地下都市、更にバスで「鳩の谷」を見て、「ウチヒサール」の周りを観光し、本日紹介する「ギョレメ村」望む高台の展望台に到着しました。

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トルコ屈指の観光地カッパドキアへの起点となる「ギョレメ村」は我々が望む高台から眼下を見ると大きな盆地の中にキノコ岩が乱立する不思議な景観を見る事が出来ました。
大きなキノコ岩には穴が掘られ住居や我々がこの後に立寄るレストランなどに利用されている一方、屋根を薄茶色に統一された2~3階建の建物が立ち並ぶ観光地になっていました。

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高台から右側を見ると先ほどバスで周りを回り観光したカッパドキアで最も高い「ウチヒサール」の要塞が見えていました。

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この「ギョレメ村」は今朝太陽が昇る前に「気球ツアー」に参加する為、ホテルから迎えの車でこの村にある気球会社の大きなロビーで1時間以上待たされた建物がある筈ですが、私には分かりませんでした。

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私は「ギョレメ村」を望む高台から四角の柵に囲まれた馬場に馬が6~7頭見えたため、望遠レンズで撮影しましたが、その左上側に写っている大きな岩が、偶然この後昼食を取った洞窟レストランでした。

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下の写真はレストランの窓から上の写真に写っている「馬場」を撮影しましたが、上下の写真を見比べるとレストランがあるキノコ岩の大きさが分かると思います。

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上下の写真は洞窟レストランの入り口で階段を上った2階部分に座席がありますが、反対側の馬場がある方は1階ほど下がっていました。

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洞窟レストランは正面から見た岩の感じと違い、くり抜かれた中は以外に広く我々ツアー仲間だけでは座席に余裕がありました。

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メイン料理は苦手なマス料理でした。昼食にもスープやデザートは必ず付きますが、トルコのデザートは甘さが尋常ではありません。私は殆どの場所でデザートには手を出しませんでした。

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我々はこのレストランで窓側に座り太陽の光が降り注ぎ暑い位でしたが、奥に座った仲間からは寒かったとの話があり驚きました。
下の写真は反射式の電気ストーブかも知れません。

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(NO12)カッパドキアの気球再チャレンジ

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平成26年3月22日4時前に起きて、前日のカッパドキアの気球ツアーキャンセルの悔しさを晴らすべく再チャレンジをしました。朝の4時半過ぎに外に出ると風も無く雲一つ見えない満点の星空で一安心、昨日と同じ人が迎えに来てくれ他のホテルへ寄りながら気球会社へ。
昨日は会社の大きなロビーで軽食を取りながら待たされましたが、この日は到着すると直ぐに現地へ出発する車に乗り換えました。

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昨日は散々ロビーで待たされ最終的には気球が飛び立つ遠方にある低い谷底の現場まで行きましたが風が強くキャンセルとなりました。
この日は気球会社の直ぐそばから我々の車は丘を登り出し、途中でいくつも飛び立つ寸前の気球を見ながら台地の上にある現場に到着しました。
既に我々が搭乗する気球はバーナーから熱風を送り込まれ半分以上膨らんでおり、15分程待って我々夫婦は大きな篭に設置された四角な穴の足場を利用し乗りこみました。
篭は大きく四つに区切られ一つの区切りに5~6人乗りこみ総勢20名以上が乗る大きく頑丈な物でした。

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我々が乗り込むと気球が上昇する前に、地上クルーの指導で全員気球が地上へ下りる時の姿勢(中腰で篭に付いているロープを掴み後ろの仕切りに背中と腰を付ける。夫婦の場合は夫の腕の中で妻を自分の膝に座らせるようにする)を何回か練習しました。
気球は最初トラックにロープを結び付けており、このロープを外すと音もなくユックリと上昇を始めます。
ゴンドラの屋根に付けられているバーナーは高さを調整するため、時々1~2秒程度点火されるだけです。

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私は高所恐怖症で心配しましたが篭の縁が1m以上あり、特に中に安全ベルトがある訳ではありませんが怖い感じは全くしませんでした。
妻は急に降下したりするジェットコースターやディズニーランドのアトラクションは殆ど苦手で乗りませんが、この気球は楽しんでカメラで動画などを余裕を持って撮影していました。

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我々が現場に到着した頃は太陽が出ていませんでしたが、気球が上昇を始める頃には太陽が当たって来ました。
昨日とは打って変わって全く雲が見えない快晴無風状態の中を100個以上の気球がユックリと上昇下降をしながら進んで行きました。
上の写真はギョレメ村の上を気球が通過しています。

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気球はいつのまにか100個以上飛んでいる気球の中で最も高い位置に上昇したり、下降したりしながら篭も徐々に回転し360度を正面に見る事が出来るようパイロットが操縦してくれているようです。

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パイロットはバーナーを点火したり沢山のロープを操りながら操縦し、トランシーバーで地上と交信しながら、更に後で分かった事ですがビデオ撮影もしていたようです。

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パイロットの名前は忘れましたがガッシリとした体つきで髭を蓄え、目は優しくいかにも安心して任せて下さいと言っているようでした。

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カッパドキアで最も高い要塞ウチヒサールをバックに遊覧する気球を撮影しました。

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我々の気球はこの後、更に高度を下げて谷の中に入って行きます。

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谷へ進入する時は篭の底を灌木に擦って行くほど高度を下げ、木々の枝が手に触れる事が出来そうでした。

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谷底はまだ太陽の日が差し込まず暗いため、写真が綺麗に撮影できず、日の当たる部分のみを撮影しました。

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谷の中には沢山の気球が一斉に入り込み、気球同志が接触しそうで心配しましたが、それぞれの気球のパイロットが合図し片方が上昇、もう一方が下降し旨くすり抜けて行きました。
大きな気球は気球部分が少し接触しても大丈夫のようです。

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岩場に我々の上を飛ぶ気球の影が写っていました。

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沢山飛んでいる気球の中には日本の旅行会社の名前が日本語で書かれた気球もいくつか見付ける事が出来ました。

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一つの気球には気球を運ぶトレーラーに加え、乗客をそれぞれのホテルへ送り届ける車も3~4台随行し、パイロットと無線で連絡しながら追いかけているようです。

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我々の気球は高度を落とし着陸態勢に入り、下にも地上クルーが待機していましたが、そこには着陸できず大きな谷を越えて次に台地に直陸する事になり心配しましたが、いつまにか谷を越えて地上クルーが追いついて来たので驚きました。

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気球は一度地上の草の上に降りた後、我々を乗せたままもう一度少し浮き上がり、待機していたトレーラーの台車にすっぽりと収まりました。
ここで全員(日本人は4人のみ)がパイロットに拍手喝さいを浴びせました。

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我々は1時間の気球フライトに満喫し、全員が興奮状態でパイロットに感謝し英雄に接するような感じになりました。

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驚いたのはこの後で、トレーラーの台車に収まった篭は地上クル―が用意した木の枝や花で飾られ、パイロットがシャンパンの栓を抜いて「シャンパン・パーティー」が始まったのです。

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私は興奮し余ったシャンパンも美味しく飲まして頂きました。
以前ニュージーランドへ旅行した際、同国最高峰のマウントクックを観光するヘリコプターへ乗りましたが、気球の方が数倍良かった思いました。
この気球ツアーはオプションで一人22千円でしたが、是非試してみる事をお勧めしたいと思っています。
ちなみに高級な皮製品や絨毯を購入した金持ちツアー仲間は気球が危険だと思ったのか約30名の内夫婦2組参加したのみで寂しい感じがしました。

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パイロットは終わったばかりの気球ツアーをビデオ撮影したDVDを説明し販売していました。我々はDVDの購入は諦めポロシャツを購入して来ました。

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(NO13)カッパドキアで絨毯屋へ

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我々はカッパドキアを観光している中で何もない台地に突然現れた白亜の立派な「絨毯店」へ案内されました。
海外旅行では免税店や地元の名産を売る店に案内される事が多く、我々貧乏人には必要ないと思いますが、地元ガイドなどには副収入を得る為に移動のバスの中で事前に色々と立寄る店の手助けをする人がいます。
今回のツアーでは絨毯店と皮製品の販売店に立寄り、ツアー仲間は売上に協力していました。

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最初に大きな部屋で沢山の女性が絨毯を織っている場所に案内されました。
我家では高価な絨毯などを敷いたり飾ったりする場所もなく、私は適当に観ていました。

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続いて繭玉から糸を紡ぐ実演を行っていました。ベテランの男性が昔のシュロ箒を小さくしたような道具で、水に浮いた沢山の繭から一度に20個位の繭から細い糸を紡いで行く見事な芸を見せていました。

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さて、この後が本番となりますが、我々一番奥の大きな部屋へ案内され支配人が流暢の日本語で絨毯の説明を始めました。
また、大勢の日本語が話せる男性スタッフが支配人の説明に従い、次々に絨毯を転がしながら広げ我々に勧誘をして来ます。

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この部屋は大きく、我家では大きすぎて敷く場所もないような大きな100万円以上する絨毯から小型の物まで次々に広げられ埋め尽くされてしまいました。
何か恐ろしい様な雰囲気で私は絨毯を広げた場面の写真を撮影する事が出来ませんでした。

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我々夫婦は勧誘されると弱く毅然と断る事が出来ない情けない夫婦ですが、今回は全く購入する気持ちはなく、かなり執拗に日本語で勧誘されましたが金もなく拒否しました。
ここではカップの下部に粉が残るトルココーヒーが出たので美味しく頂き、私は途中から部屋を抜け出し屋外へ出てしまいました。
私は一番奥の部屋から扉が閉めらていたり、見張りの男性がいる中を方向感覚の鋭さを活かしすり抜け見事に出口を見付け、何か声を掛けられましたが知らんふりをして大きな扉を開けて外に出ました。

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(NO14)カッパドキア洞窟ホテル「エムディーシー」

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我々はカッパドキアの観光で平成26年3月20日21日とカッパドキアのユルギュップの町の南西エリアにある洞窟ホテル「MDCホテル」に2連泊しました。
このホテルは正面から見ると普通の石造りのホテルですが、内部は200年以上前のオットマン王朝時代に使われていた洞窟をエレガントに改造し、21ある客室の造りや内装は各室異なるそうで、我々ツアーは部屋割を通常添乗員が決めていたのにこの時は不満が出ない様に抽選で決めました。


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緑の少ないカッパドキアの中で石造りのホテルの前は緑の芝だと思いますが足が長く青々と茂り、小さな木やベンチが配置され、数百メートル先にはカッパドキアの自然が箱庭のように見えます。
我々はホテルの部屋からこの景色をユックリと鑑賞したいと思いましたが、朝4時前に起きて真っ暗の中にコーランが驚く程のボリュームで流されている中を気球ツアーに二日間に掛けて出掛けてしまい、その思いは叶いませんでした。
しかし、気球ツアーはそれにも増して我々夫婦を楽しませてくれましたが。

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このホテルは夜綺麗にライトアップされ、我々はライトアップされたホテルへ最初に足を踏み入れました。
ライトアップは気球ツアーに早朝出掛ける時もされており、一晩中点灯されているようでした。

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我々の部屋は上の写真の階段を昇った最初のライトアップされた場所です。

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我々の部屋は扉を開けるとアンティークなベッドが置かれ、壁には岩を削った後が残り、床は大理石に絨毯が敷かれ、床暖房が施された豪華な部屋でした。

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バス・トイレは大理石の階段を3段昇った上の部屋にあり、上の部屋もベッドが置かれた部屋と同じ位か若干小さい位で、トイレ、バス、洗面台がかなり離れた配列で、小さい部屋になれた我々には少し違和感がありました。
バスにはジャグジー機能がセットされ、海外旅行では初めての経験でした。
最後のイスタンブールでは「ザ リッツカールトン」へ泊りましたが、この「MDCホテル」の方が素晴らしいと思いました。

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大きな部屋の片隅にトイレが離れてあり何か落ち着かない雰囲気でした。
洗面台もアンティークな造りでしたが、行儀の悪い私には少し小さい感じがしました。

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ベッドの横に置かれた電話もアンティークでしたが、一度も使用する事はありませんでした。

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我々は一旦部屋から出て30m位先のレストランで朝食、夕食を取りますが雨が降ったら大変だなと感じました。
カッパドキアは雨が少ないかも知れません。

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我々夫婦は気球ツアーに二日間とも出掛け、朝食は落ち着いて食べる事は出来ませんでいしたが、夜はビールを飲みながら、ゆっくりと言ってもビールのツマミには今一と言う感じです。

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トルコ料理は有名で種類も豊富で野菜やお米も出ますが、私には勿論日本料理が一番で日本からお粥やラーメンとポットを持ちこみ、殆ど毎日食べていました。

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食事には果物も付き、更にとてつもなく甘いデザートが付いて出ます。
私は甘い物を食べると胃の調子が悪くなるので食べませんでしたが、物は試しで一度少し口に入れ甘さにビックリしました。
最近の海外旅行ツアーは本当にホテルが素晴らしく良くなっていると思いました。
一方、先日テレビで日本へ来る海外旅行者の宿泊場所を紹介していましたが、一泊数千円でバス・トイレ共用ホテルに人気があり、アジアから来る若い女性達は余ったお金を膨大なお土産に投資しており驚きました。

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(NO15)キャラバンサライ(隊商宿)

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平成26年3月22日早朝にカッパドキアの気球ツアーに興奮し感動した後、ギョレメ野外博物館を観光し昼食を取り、一路230㌔離れたコンヤの街へVIPバスで向かいました。
カッパドキアからコンヤへ向かうD300号線(コンヤ-アクサライ線)の途中に,スルタンハンという町があり,そこのキャラバンサライ隊商宿)に立ち寄りました。
隊商宿となればシルクロードを想像し、砂漠の中に存在すると思いましたが、今では大きな町の一角にあり少し残念な気持ちがしました。

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この町はシルクロードの中継点にあたり、多くの隊商が交易のために行き来したようで、この建物は隊商の宿泊所として建てられ盗賊などに襲われる心配があったため、堅固な壁に守られた砦のような構造になっていました。
隊商宿については過去に写真などで、ある程度は想像していましたが、その規模の大きさ堅牢さ絶大な存在感に圧倒されました。

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我々ツアーは時間がなく内部を見る事はしませんでしたが、城壁の内部にも入場料を払えば入る事が出来た様で残念な気持ちでした。
ネットから内部に入られた方の写真をお借りしましたが、内部には宿泊客のための食堂やハマム、宿泊所などがあり、ラクダなどを休ませる部屋もあり、更に、お祈りのための礼拝堂もあったそうです。

キャラバンサライ4

キャラバンサライ3

キャラバンサライ5

中央アジアに定住していた トゥルクマーン族の セルジュークとその一族は、10世紀後半に西方に移住して 勢力を広げるとともに、イスラーム化していった。 その孫の トゥグリル・ベクが イランにセルジューク朝 (1038-1194) を開くと、バグダードのハリーファから、政治と軍事の王として 「スルタン」 の称号を受けた。 一方、その従兄弟のスライマーンは アナトリア半島 (現在のトルコ) に進出して ガズナ朝を破り、ルームのセルジューク朝 (1077-1308) を興す。 ルームとは ローマのことで、それまでのアナトリア地方が東ローマ (ビザンティン) 帝国の領土だったので、その地方 および そこに住む人びとは ルームと呼ばれていたのである。 ここに、いわゆる セルジューク・トルコ王国が生まれ、以後現代に至るまで、アナトリア地方には トルコ族が定住することになった。

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分厚い壁で囲われ大きな敷地の堅牢な要塞の存在感は凄く私の胸を打ちました。

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(NO16)女性スカーフ着用のメヴラーナ博物館へ

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平成26年3月22日早朝に念願のカッパドキア気球ツアーに参加し興奮・感動した後、ギョレメ野外博物館を観光し昼食を取り、途中スルタンハンという町にあるキャラバンサライ(隊商宿)に立ち寄った後230㌔離れたコンヤの街へ向かいました。
トルコ旅行で最初のアンカラから古い遺跡の跡やカッパドキアの自然を観光していましたが、今回初めてイスラム文化と言うのかモスクのようなメヴラーナ博物館を観光しました。
我々ツアーの女性達はガイドの指示により全員顔にスカーフを巻きましたが、外国人の中にはスカーフを付けない女性達も見かけました。

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セルジュク朝時代に首都であったコンヤの町は、人口76万人で 芸術、科学の文化都市、更に南東にはチャタル・ホユックという遺跡があり、ここは紀元前6000年頃に誕生した世界最古の集落とも言われているそうです。
メヴラーナ博物館 は 旋回舞踊で有名なメヴラーナ教団の総本山だったとこで、教団の発展に関係した修行場、名僧たちの棺が置かれた霊廟、旋回舞踊で使った衣装、コーランなどが収められていました。
13世紀頃から続いたこの教団の活動は、1925年に大統領ケマル・アタテュルクの政教分離政策によって禁じられました。その後、1970年代の緩和政策によって活動の再開が許され、この建物は1927年から博物館として一般公開されているそうです。

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メヴラーナは1273年にコンヤで逝去し、現在コンヤのメヴラーナ博物館内の石棺に眠っています。彼の死後、彼を慕う使徒達(メヴレヴィMevlevi/スーフィーSufi)は、音楽とダンスによってメヴラーナの思想を表現しました。メヴラーナによるとこの世に存在するものは全て無限に回転(循環)するものであると唱えました。生命も電子も血も地球も全て回り続けます。精神を無にして回りつづけることにより神にさえ心が届くのです。このダンスのことをセマ(Sema)と呼び、一般に「回る修道僧」として知られています。

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メヴラーナ博物館の内部は撮影禁止で中をお見せする事は出来ませんが、中に入るには入り口で配布されているビニールを靴の上から履く必要があり、中には昔のお棺が多数あり豪華な内部を見る事が出来ました。
元々は寺院だったところを、現在は博物館として解放しているそうで外観や内部は普通のモスクのようになっていました。
コーランや衣服や木彫りの彫刻なども、貯蔵されており、熱心にお祈りを捧げている方も大勢見かけました。

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我々が訪れた頃はトルコの地方選挙の時期に当たり、メヴラーナ博物館の上空をモーターパラグライダーが候補者の顔が書かれた大きな旗をなびかせ何度も旋回していました。
ついでに書きますが、我々トルコ旅行のガイドはエルさんと言い、親子3代に渡るガイドの一家で大学を卒業し国家資格を取得、世界の宗教を勉強している博学のコーサカス系美男子でした。日本仏教の事から日本歴史、文学の事まで日本人の我々が恥ずかしくなる位、知識豊富な人物でしたが、少し饒舌で調子に乗ると説明が長過ぎて観光するj時間が短くなってしまいました。
その好青年インテリのエルさんが、珍しく当時のエルドアン首相を物凄い剣幕で批判していましたが、先日大統領を選ぶ選挙で勝利し大統領となり、どんなに悔しがっている事やら。

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(NO17)魅惑的な石灰棚「パムッカレ」を観光

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我々ツアー5日目の26年3月23日はアンカラ、ボアズカレ遺跡、カッパドキアと歴史ある自然を堪能しアフヨンのホテルを
朝7時に出発しました。
この日はアフヨンから230㌔離れたパムッカレ(石灰棚)、ヒエラポリス遺跡を観光する為、長いバスの旅となりました。
我々夫婦は旅に出ると朝昼晩に加え途中もビールを飲んだりしますので、アルコールが常時抜ける事はありませんが、私は以外に眠る事無く車窓の景色を見たり写真撮影をしたりして楽しんでいます。

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アフヨンからパムッカレ向かう車窓の景色はアンカラからカッパドキアへ向かう景色と若干違いが出て来て、国道の両サイドに広がる畑や牧草地が綺麗に耕作されトラクター等も見かけトルコ中央部よりも西部に向かうほど裕福な感じがしました。
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上下の写真に写っている池の向うの小高い真っ白な丘の上に、これから観光する魅惑的な美しさの石灰棚の温泉パムッカレと紀元前190年頃ベルガモ王エウメネス2世によって建造されたヒエラポリス遺跡があります。 

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我々は上の写真の門を潜り、ヒエラポリス遺跡の中に入って行きますが、今回は石灰棚の温泉パムッカレを紹介したいと思います。

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パムッカレに近づくと地熱があるのか南国のようなシュロの木が繁り、周りにはタンポポや日本の草原で見る花が咲き乱れていました。

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綺麗に整備された公園の横が突然白い棚田になっていて、下に池に向かって温泉が流れていました。

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昔はこの石灰棚はいつもお湯で満たされていたようですが、周辺の温泉ホテルの開発ラッシュで 、ホテルにも温泉を供給し棚の温泉が枯れてしまい、今では石灰棚に流される温泉量がコントロールされているようです。
温泉を長い間流さないと温泉に含まれる石灰が棚田に行きわたらず、美しい棚田が壊れてしまうそうです。
我々が訪れた時は丁度温泉が公園との境にある遊歩道の横から流れ出ており、良い日に観光出来ラッキーでした。

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このパムッカレには棚田として数えると段々に連なる真っ白な石灰棚は100枚位あるようで、観光客が入る事が出来る部分は制限されていました。

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このパムッカレの下の池を観て右側に回り込んで行くと、板が敷かれた場所があり、そこで靴を脱いで持参した袋に入れ、足湯をする時にはその袋を持って行くようにガイドから指示があり、我々ツアーの仲間は真面目に持って行きました。
しかし、棚田の中に入って行くと他の観光客は靴をそのまま置いて足湯に浸かっていました。

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この棚田の中は石灰です。非常に滑りやすい部分とザラザラした部分とがあり、ザラザラした部分を探して歩きましたが、ザラザラした部分は、逆に足裏が切れるように痛い部分もあり靴を持って歩いていると大変でした。
この足湯が許されている部分にはいつも温水が流れているようです。
私は一眼で撮影をしていた為、妻に靴を持って貰いました。

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パムッカレとは、トルコ語で「綿の宮殿」という意味で、綿とあるのは昔からこのあたりが良質の綿花の一大生産地であったそうです。
二酸化炭素を含む弱酸性の雨水が台地を作っている石灰岩中に浸透し、炭酸カルシウムを溶かした地下水となり、その地下水が地熱で温められて地表に湧き出て温泉となり、その温水中から炭酸カルシウム(石灰)が沈殿して、純白の棚田のような景観を作り出したそうです。

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棚田の畦に当たる部分は、流れてきた植物片などがひっかかり、これに石灰分が沈着して次第に堤のように成長し、これは温水が畦を越流する時に石灰分の沈積が化学的に加速する為だそうです。
このような景観がパムッカレでは約200mの高さにわたって形成されている。

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最初に公開したパムッカレがある白い石灰の丘をバスの車窓から撮影したポイントが、中島がある花の形をした池の向うに見えます。

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このパムッカレが形成されている白い石灰の部分の厚さは300m位あるようです。

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私はこのパムッカレに興味があったので、何とか素晴らしい写真を撮影しようと上の写真の棚田から下の棚田へ温泉が流れ出るのを待ちましたが、温泉が放水された時間が我々が到着する少し前であったようで、棚田はなかなか満水にならず、残り数㎝の所で残念ながらその場所を離れました。

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(NO18)パムッカレにある「ヒエラポリス遺跡」をヽ(^o^)丿

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先日このブログでトルコ「アフヨン」から230㌔離れたパムッカレ(石灰棚)について公開しましたが、本日は同じ場所にある紀元前2世紀頃建造され2~3世紀頃人口10万人を数えたローマ帝国の大都市「ヒエラポリス遺跡」について書いて見たいと思います。
我々は石造りの門を潜り、広大なヒエラポリス遺跡の中に入って行きます。

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我々は3月20日からアンカラからトルコの中東部ボアズカレの紀元前1800年頃のヒッタイト王国の首都ハットゥシャ、溶岩や火山灰の浸食で出来た奇岩群のカッパドキア、コンヤの11世紀中頃のセルジューク朝時代メヴラーナ博物館を観光し、ツアー5日目平成26年3月23日にトルコで初めてローマ帝国時代の遺跡を観光しました。
上の写真2枚はアポロン神殿跡で太陽神アポロに捧げられた、ドーリア様式の神殿で、今は崩れた柱が転がっていました。

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ローマ帝国の都市には必ずある円形劇場が、このヒエラポリス遺跡にも15000人を収容したと言う大規模で保存状態の良い状態で残されていました。
我々は石灰棚を見たりしていたので、円形劇場の近くには行く時間がありませんでした。
円形劇場はこの日の午後観光したエフェス遺跡でジックリ見る事が出来ました。

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ローマ帝国時代の都市はどこも高台にあり、イタリアを観光した時にも教会を中心とした村々が丘陵地の高台にあり不思議に思いました。ガイドの説明によると低地には水が溜まり、蚊が発生して恐ろしい伝染病のマラリアから逃れるためだと説明がありました。

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温泉施設のある最盛期人口10万人のヒエラポリス遺跡には有名なローマ皇帝ハドリアヌス帝やカラカラ帝も訪れていたようです。
人口10万人の大都市を我々は歩いて回るので遺跡の一部を見るだけ、

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重い石を使って都市が造られており、上の写真のアーチ状の物の目的は分かりませんが、これ一つ造るのも大変なのに、神殿や大浴場、円形劇場等をどのようにして造られたのか本当に不思議に思いました。

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我々はヒエラポリス博物館へは時間がなく入りませんでしたが、ローマ時代の浴場をそのまま博物館として使っているようで石組みが精緻かつ重厚で美しい。
博物館の中の展示は主に石棺とレリーフだそうです。

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ヒエラポリス博物館から少し歩くと「パムッカレ・テルマル」と言う、ローマ時代の遺跡が沈んでいる温泉プールがあります。泉質は炭酸泉で水着を着て入るそうですが、見学だけなら誰でも自由に入ることができます。
私は写真撮影の為、石灰棚に水が満たされるのは長時間待ってしまい、この「パムッカレ・テルマル」は殆ど見る事が出来ず妻の写真を使用しました。

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水温は35度程度でぬるい温泉ですが、水が澄み源泉が噴き出す様子を見る事が出来るようです。
子供達が温泉を楽しんでいたようです。

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(NO19)トルコのエフェソス遺跡を観光。

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ツアー5日目平成26年3月23日午前中にパムッカレで石灰棚とトルコで初めてローマ帝国時代のヒエラポリス遺跡を観光しました。
そこからバスで190㌔も走り、午後にトルコの小村アヤソルクにある世界最大級の大規模な古代都市遺跡、エフェソスへ到着しました。
エフェソスは港湾都市であったが、土砂の堆積により現在は海岸から離れてしまったようです。

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エフェソスは紀元前16~11世紀にかけてギリシャから移住してきた人々が建てた町で、アルテミス神殿を中心に繁栄したが、前7世紀にキンメリア人に狙われ、町も神殿も破壊されたが、リディア王クロエソスが再建したものの、ペルシャのキュロス大王に征服され、アレキサンダー大王の登場を待ってヘレニズム時代になる。
いろいろな経緯を経て、ローマ領となってからも、益々繁栄し、ローマ帝国のブルータス、カエサル、アントニウスも訪れているそうです。
現在公開されている遺跡は古代都市全体の十分の一程度だそうですが、24000人を収容できる大きな円形劇場を持ち、スケールの大きさに圧倒されました。

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 以前旅行したローマのポンペイの遺跡は、町が小さかったこともあって住宅、商店、ハマム等の建物がよく残っていて、庶民の生活が手に取 るように分かりましたが、エフェソスは州の都だけあって、公的な立派な建物が多く発掘されいるようです。
ポンペイでも水道や下水が整っていましたが、エフェソス遺跡にも下水や水道管がありました。

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列柱はバジリカ(聖堂)跡でアウグストゥス時代の建物、今でいう裁判所のような働きをしていたそうです。この辺りには当時の政府機関の建物が多くあります。
バシリカの列柱の上にはコリント式とイオニア式の柱頭が載っていて、雄牛の頭の彫り物で飾られていたそうです。  

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上下の写真の円形劇場は1500人ぐらいが収容でき、市議会や音楽会に利用され、雨や日差しを避けるための木製の屋根が付けられていた。
24000人収容の円形劇場は発掘されている遺跡の一番外側にありました。

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プリタネイオンと言われアルテミスの礼拝所だったものが、紀元前3世紀に市議会堂として修復され、この場所から出土したアルテミス像はエフェソス考古学博物館で展示されているそうです。

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メミウスの碑(起源前86年)
ローマの重税に反対していたエフェソスの市民は暴動を起こし、ポントス王ミトリダテスを立てて戦いを起こし町に住むローマ人を虐殺、しかしスラ帝率いるローマ軍に鎮圧されてしまった。
メミウスの碑は戦いを平定したローマの独裁者スラが犠牲者の霊をなぐさめるために建てたそうです。

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上の写真は商売の神エルメスのレリーフで、羊飼いの守護神でもありレリーフには羊も描かれている。
側面は撮影してありませんが、再生のシンボルである杖とへびのレリーフで、このマークは今でも病院のシンボルとしてよく使われているそうです。

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ドミチアン神殿(1世紀)
ローマ帝国のドミティアヌス帝に捧げられた神殿で、ドミティアヌス帝の死後、彼の業績は元老院により否定され彼の記録は抹殺、銅像も破壊された。このため、この神殿以外ドミティアヌス帝に関する遺跡はほとんど残っていない。
この遺跡の2本の柱の間にはドミティアヌス帝の像があったとされている。

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クレテス通り はヘラクレスの門からセルシウス(ケルスス)図書館までのなだらかな石畳のメインストリートを言い、両側には円柱や、彫像が載っていた台座が並び、丘の上の高級 住宅街、モザイクの歩道、神殿や公衆トイレから遊郭まであり、当時の人々の生き生きとした生活が目に浮かぶ保存状態の良い素晴らしい雰囲気のストリートです。

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ヘラクレスの門はエフェソス・クレテス通りの両側に大理石の石柱が立っており、この石柱にライオンの毛皮をまとったヘラクレスレリーフがあることから、ヘラクレスの門と呼ばれ、当時この石柱の上に勝利の女神のニケのレリーフが置かれていたそうです。      

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上の写真は勝利の女神ニケのレリーフで左手には月桂樹の冠を持っています。

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トラヤヌスの泉(紀元 102年~114年建設)
この泉はシベリウス・クラウディオス・アリスティオンと彼の妻によりエフェソスの守護神アルテミスとローマのトラヤヌス帝に捧げられた。
トラヤヌス(在位 98年~117年)はローマ五賢帝のひとりで、彼の時代にローマは最大の版図を実現し、この泉の中央には彼の像があり、その足元から水が流れ出ていたそうです。

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極めて保存状態の良い当時の公衆トイレです。 便座は大理石で造られ、横に一列に並んでおり間に仕切り板はなく、 市民は会話しながら用を足したそうです。
便座の下には深い溝があり、手前には手を洗うための上水が導かれ、トイレは有料で、汚物は尿酸を採るために利用されていたそうです。

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クレテス通りから眺めた驚くほど優美なセリシウス(ケルスス)図書館 です。

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セリシウス(ケルスス)図書館 は視覚効果を計算に入れて考えられたユニークな設計で、両端の柱はやや細く、2階の柱も細くて短い柱を使用し、遠近効果を利用して建物を大きく見せているそうです。
四体の女性像は、それぞれ知恵、幸運、学問、美徳を象徴していると言われ、現在の像は残念ながらレプリカで、オリジナルはウィーンにあるそうです。当時、アレキサンドリア、ベルガマと並ぶ三大図書館に数えられ、12万冊の蔵書があったようです。

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セリシウス(ケルスス)図書館はこの地を統治したセルシウス・ポレマエヌスを偲んで117年に息子ティベリウスが父の墓の上に建立、260年に火災で焼失したが前門は残り、 建物の地下の墓所には今も石棺が置かれているそうです。

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上の写真は女性4体の像の一つでアレテー(徳)の像です。
像はレプリカで本物はウィーンの博物館にある。

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セリシウス(ケルスス)図書館の前では現地の2組の新郎新婦が写真撮影を行っていました。

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豪壮なマゼウス・ミトリダテスの門( 紀元前3世紀)は 奴隷から開放されたマゼウスとミトリダテスがアウグストゥス帝に感謝して寄進した門だそうです。

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クレテス通りを下りセルシウス(ケルスス)図書館の前で右に回るとマーブル通り、 商業アゴラになります。

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図書館からマーブル通りを歩くと、大劇場に着き、またここからマーブル通りから左に直角に港までアルカディアン通り(港通り)が続きますが今では海は見えませんでした。
紀元前3世紀建設、ローマ時代に増築された大劇場は驚くほど保存状態が良く、音響効果も良いそうで、今でも充分使用可能24000人収容できそうです。

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我々ツアーの仲間が「飛んでけイスタンブール・・・」と大きな声で歌うと円形劇場にこだましました。

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我々は南口から入り、北口へ出ましたが、この北口にある土産物屋は評判が悪く急いでバスの駐車場まで行きました。

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(NO20)小さな聖母マリアの家を

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ツアー5日目の平成26年3月23日午後に前回このブログに公開したエフェソス遺跡を見る前に「聖母マリアの家」を観光しました。
エフェソス遺跡の南入り口の前をバスで通過しそこから山道を相当登り、パナヤカプルの丘にあるイエスの母マリアが余生を送った言われる場所に到着しました。

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ガイドや添乗員から事前に「聖母マリアの家」は小さいから小さいからと何度も我々が期待をしないような発言があり、そのつもりで観光したので、却ってこじんまりした建物に感動しました。
聖母マリアはキリストの磔刑から4年の後に、聖ヨハネとともにエフェソスを訪れた。
そして聖マリアはキリストの死に傷つき、深い悲しみを背負ったままさまよい、やがてオリーブの茂るパナヤカプルの丘にたどり着き、小さな小屋を建て、そこで余生を送ったと、言われているそうです。

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現在ある家は1951年に建てられたもので、一部に1世紀の聖母マリアの時代の壁、その後2世紀、7世紀に建てられた聖堂の壁が残されているそうですが、内部の写真撮影も出来ず良く分かりませんでした。
建物内部はとても質素で小さな4つの部屋に分かれており、3つ目の部屋に祭壇があり聖母マリアの像が安置されていました。
最後の部屋、出口脇にとても古い、おそらく7世紀のものと思われる壁画が残されていました。

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「聖母マリアの家」がある敷地から右回りで徐々に下がった場所に「聖母マリアの泉」があり、聖母マリアが晩年にこの水を飲んですごしたといわれる、「万能の水」だそうです。
この水は不治の病を治した、生まれつきの障害を治したなど、数々の奇跡を起こしてきたという説明があり、我々夫婦も飲んで来たので、素晴らしい奇跡を待ちたいと思っています。・・・

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さらに進むと、紙縒りでびっしり埋まった大きな壁が現れ、ここに紙縒りを結ぶと願いがかなうと言う事で、妻はサラサラと願い事を書いてしっかり結んできました。さて、どんな願い事をしたのか・・・・

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上の写真の花はビンカマジョールで私が通っているテニスコートの土手にも沢山植えられており、我家にもそこから頂いた枝を挿し木にしたものが元気に毎年花を付けています。
ビンカマジョールは下部元から多数の茎を出し、花は春になると中心に五角形の穴が空いている珍しい小さな一重の可憐な花が咲きます。非常に強健で放任していても元気に成長します。

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聖母マリアの生涯については長い間2つの説が唱えられていた。ひとつはエルサレムで生涯を終えたというもの。もうひとつはここエフェソスで死を迎えたというもの。
19世紀になって、ドイツの有名な神秘家K.エムリックが「聖母マリアはエフェソスの地で死を迎えた」と言う神の声を聞いたことをきっかけに、エムリックは行ったことのないエフェソスの様子を描写し、聖母マリアの家とその墓の位置を予言した。
発掘調査を行った結果、予言の通り、エフェソスから9kmはなれたオリーブの茂る丘に、1世紀に建てられた建物の名残とともに、暖炉の聖なる灰が発見されたそうです。
20世紀に入り、聖母マリアがこの地で死を迎えたことが認められ、ここパナヤカプルの聖母マリアの家はキリスト教徒の巡礼地となった。
聖母マリアの家に続く道では12の国の言葉でこの地の生い立ちが語られています。


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Appendix

アルバム

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プロフィール

まさゆき

  • Author:まさゆき
  • 釣り好きのまさゆきからテニス好きに変わり、相変わらずテニス好きのゆきえの合計年齢146歳に到達した夫婦ブログです。家庭菜園と飲む事は夫婦ともに大好きです。更に夫婦で安いツアー旅行にビール片手で出掛ける事が二人の至福の喜びでしたが、2017年12月末から愛犬ミルクが家族となり生活が一変しました。
    静岡市在住;