


ツアー5日目平成26年3月23日午前中にパムッカレで石灰棚とトルコで初めてローマ帝国時代のヒエラポリス遺跡を観光しました。
そこからバスで190㌔も走り、午後にトルコの小村アヤソルクにある世界最大級の大規模な古代都市遺跡、エフェソスへ到着しました。
エフェソスは港湾都市であったが、土砂の堆積により現在は海岸から離れてしまったようです。

エフェソスは紀元前16~11世紀にかけてギリシャから移住してきた人々が建てた町で、アルテミス神殿を中心に繁栄したが、前7世紀にキンメリア人に狙われ、町も神殿も破壊されたが、リディア王クロエソスが再建したものの、ペルシャのキュロス大王に征服され、アレキサンダー大王の登場を待ってヘレニズム時代になる。 いろいろな経緯を経て、ローマ領となってからも、益々繁栄し、ローマ帝国のブルータス、カエサル、アントニウスも訪れているそうです。
現在公開されている遺跡は古代都市全体の十分の一程度だそうですが、24000人を収容できる大きな円形劇場を持ち、スケールの大きさに圧倒されました。


以前旅行したローマのポンペイの遺跡は、町が小さかったこともあって住宅、商店、ハマム等の建物がよく残っていて、庶民の生活が手に取 るように分かりましたが、エフェソスは州の都だけあって、公的な立派な建物が多く発掘されいるようです。
ポンペイでも水道や下水が整っていましたが、エフェソス遺跡にも下水や水道管がありました。



列柱はバジリカ(聖堂)跡でアウグストゥス時代の建物、今でいう裁判所のような働きをしていたそうです。この辺りには当時の政府機関の建物が多くあります。
バシリカの列柱の上にはコリント式とイオニア式の柱頭が載っていて、雄牛の頭の彫り物で飾られていたそうです。



上下の写真の円形劇場は1500人ぐらいが収容でき、市議会や音楽会に利用され、雨や日差しを避けるための木製の屋根が付けられていた。
24000人収容の円形劇場は発掘されている遺跡の一番外側にありました。



プリタネイオンと言われアルテミスの礼拝所だったものが、紀元前3世紀に市議会堂として修復され、この場所から出土したアルテミス像はエフェソス考古学博物館で展示されているそうです。



メミウスの碑(起源前86年)
ローマの重税に反対していたエフェソスの市民は暴動を起こし、ポントス王ミトリダテスを立てて戦いを起こし町に住むローマ人を虐殺、しかしスラ帝率いるローマ軍に鎮圧されてしまった。
メミウスの碑は戦いを平定したローマの独裁者スラが犠牲者の霊をなぐさめるために建てたそうです。


上の写真は商売の神エルメスのレリーフで、羊飼いの守護神でもありレリーフには羊も描かれている。
側面は撮影してありませんが、再生のシンボルである杖とへびのレリーフで、このマークは今でも病院のシンボルとしてよく使われているそうです。

ドミチアン神殿(1世紀)
ローマ帝国のドミティアヌス帝に捧げられた神殿で、ドミティアヌス帝の死後、彼の業績は元老院により否定され彼の記録は抹殺、銅像も破壊された。このため、この神殿以外ドミティアヌス帝に関する遺跡はほとんど残っていない。
この遺跡の2本の柱の間にはドミティアヌス帝の像があったとされている。


クレテス通り はヘラクレスの門からセルシウス(ケルスス)図書館までのなだらかな石畳のメインストリートを言い、両側には円柱や、彫像が載っていた台座が並び、丘の上の高級 住宅街、モザイクの歩道、神殿や公衆トイレから遊郭まであり、当時の人々の生き生きとした生活が目に浮かぶ保存状態の良い素晴らしい雰囲気のストリートです。

ヘラクレスの門はエフェソス・クレテス通りの両側に大理石の石柱が立っており、この石柱にライオンの毛皮をまとったヘラクレスレリーフがあることから、ヘラクレスの門と呼ばれ、当時この石柱の上に勝利の女神のニケのレリーフが置かれていたそうです。


上の写真は勝利の女神ニケのレリーフで左手には月桂樹の冠を持っています。

トラヤヌスの泉(紀元 102年~114年建設)
この泉はシベリウス・クラウディオス・アリスティオンと彼の妻によりエフェソスの守護神アルテミスとローマのトラヤヌス帝に捧げられた。
トラヤヌス(在位 98年~117年)はローマ五賢帝のひとりで、彼の時代にローマは最大の版図を実現し、この泉の中央には彼の像があり、その足元から水が流れ出ていたそうです。

極めて保存状態の良い当時の公衆トイレです。 便座は大理石で造られ、横に一列に並んでおり間に仕切り板はなく、 市民は会話しながら用を足したそうです。
便座の下には深い溝があり、手前には手を洗うための上水が導かれ、トイレは有料で、汚物は尿酸を採るために利用されていたそうです。


クレテス通りから眺めた驚くほど優美なセリシウス(ケルスス)図書館 です。


セリシウス(ケルスス)図書館 は視覚効果を計算に入れて考えられたユニークな設計で、両端の柱はやや細く、2階の柱も細くて短い柱を使用し、遠近効果を利用して建物を大きく見せているそうです。
四体の女性像は、それぞれ知恵、幸運、学問、美徳を象徴していると言われ、現在の像は残念ながらレプリカで、オリジナルはウィーンにあるそうです。当時、アレキサンドリア、ベルガマと並ぶ三大図書館に数えられ、12万冊の蔵書があったようです。



セリシウス(ケルスス)図書館はこの地を統治したセルシウス・ポレマエヌスを偲んで117年に息子ティベリウスが父の墓の上に建立、260年に火災で焼失したが前門は残り、 建物の地下の墓所には今も石棺が置かれているそうです。


上の写真は女性4体の像の一つでアレテー(徳)の像です。
像はレプリカで本物はウィーンの博物館にある。


セリシウス(ケルスス)図書館の前では現地の2組の新郎新婦が写真撮影を行っていました。



豪壮なマゼウス・ミトリダテスの門( 紀元前3世紀)は 奴隷から開放されたマゼウスとミトリダテスがアウグストゥス帝に感謝して寄進した門だそうです。


クレテス通りを下りセルシウス(ケルスス)図書館の前で右に回るとマーブル通り、 商業アゴラになります。

図書館からマーブル通りを歩くと、大劇場に着き、またここからマーブル通りから左に直角に港までアルカディアン通り(港通り)が続きますが今では海は見えませんでした。
紀元前3世紀建設、ローマ時代に増築された大劇場は驚くほど保存状態が良く、音響効果も良いそうで、今でも充分使用可能24000人収容できそうです。

我々ツアーの仲間が「飛んでけイスタンブール・・・」と大きな声で歌うと円形劇場にこだましました。

我々は南口から入り、北口へ出ましたが、この北口にある土産物屋は評判が悪く急いでバスの駐車場まで行きました。