

上の写真はビジターセンターから右方向を撮影し、下の写真は左方向を撮影しました。

我々は三日目の平成25年3月29日に「ホリデイ・イン・ウィリアムスホテル」から近いグランドキャニオンを午前中に観光し、アメリカ・インディアンの中で最大の部族ある約20万の人口を擁するナバホ族が管理するモニュメントバレーへ向かいました。
モニュメントバレーは映画監督のジョン・フォードが『駅馬車』などジョン・ウェイン主演・西部劇の舞台として有名で、我々のバスはモノクロの「駅馬車」DVDを見ながら進みました。
懐かしい映画で私は一睡もしなく最初から最後まで見てしまいました。ジョン・ウェインは背が低かったのですが、晩年の太る前は良い男ですね。

上の写真はビジターセンターです。

上の写真は我々が「ワイルドキャット・トレイル」で2時間以上掛けて一回りをした「レフト・ミトン」です。

我々はビジター・センターでバスを降り「ワイルドキャット・トレイル」を歩く前にトイレへ行かされ、落ち着いた所で、モニュメント・バレーを代表する上の写真の光景が飛び込んで来ました。
上の写真は左の岩から「レフト・ミトン」中央が「ライト・ミトン」右側がお茶の「ポット」と言われているようです。
この大きな岩の大きさを表現するのは難しいのですが、上の写真で3個の大岩の手前に白く見えるダートの観光用道路があり、その道路が見えなくなる手前に豆粒のような白い車があるので、これと比較して見て下さい。


我々はビジターセンターからナバホ族の住居と見た後、「ワイルドキャット・トレイル」の看板がある場所に到着しました。看板には1周で3.2マイル(約5.1㎞)と表示されており、ガイドの説明によると普通の人で2時間は掛らないと言う説明で我々ツアー参加者40名全員がチャレンジする事になりました。
このガイドの説明で私は簡単に一周出来ると思い、ルートを少し離れては写真を撮り続けていたら、いつの間にか最後のグループになり、更に途中で道に迷い大変苦労する事になりました。
我々はビジターセンターから、この看板がある位置まで来るのに、既に下りながら1.5㎞以上を歩いていたのです。帰りの登り1.5㎞は本当に疲れました。


我々は「レフト・ミトン」の左側から時計回りに一周するため、途中から「ライト・ミトン」「ポット」が見えなくなり、代わりに左側のメサのテーブル型台地との間を歩きます。
足元は赤い細かな砂ですが下りであり順調に下りました。

上の写真はメサのテーブル型台地、下の写真には既に「ライト・ミトン」が「レフト・ミトン」に隠れてしまい、「ポット」は見えています。


上の写真はビジターセンターの右側に見えた大岩、下の写真は「レフト・ミトン」の左後方部分に掛り、全体の1/4程度を赤い砂と岩の中を下って歩き平坦な部分に出ました。この辺りは砂が少なく以外に順調に歩く事が出来ました。



我々のガイドは我々全員を一周させ、ガイド自身は最後の残り1/3位の場所で待機していました。
我々40名は体力に応じ徐々にバラバラになり、先に行った人達は全く見えなく、写真の白くペンキが塗られた小さな岩だけを頼りに歩きました。


上下の写真は我々が「レフト・ミトン」の裏側に回り込みメサのテーブル型台地の更に後方に見えた光景です。


上の写真は「レフト・ミトン」の裏側と「ポット」が見えます。

上下の写真は「レフト・ミトン」の裏側から「ライト・ミトン」を撮影しましたが、ビジターセンターから見えた「レフト・ミトン」と「ライト・ミトン」は距離的に近く見えましたが、実際は相当離れており驚きました。


上下の写真は「レフト・ミトン」を左側から歩いて回り込み右側に出て、真横から薄い感じの岩と飛行機雲を撮影しました。
「レフト・ミトン」は横から見ると幅は薄く、やはり野球のグローブのようでした。



上の写真2枚と下の写真1枚は「レフト・ミトン」を回り込み、残り1/3位の場所から「ポット」の大岩を枯れ木を入れたりしながら撮影しましたが、その岩の大きさを表現する事は出来ませんでした。
「ポット」の裾野にある岩自体が大きな物である事を表現しないと、大きさを表現する事は難しいですね。


上下の写真にはジーパンを履いたガイドの姿が小さく写っています。皆様は分かりますか?
ガイドは我々のように「レフト・ミトン」を一周せず、正面の左側から右側に移って待っていました。
ここまで来ればもう少しかなと私は思いましたが、ここから登りになり、更に細かい赤い砂のを上を歩く事で最後の1/3は死に物狂いでした。
我々のツアーの中にオーストラリアの中学生位-の姉弟が日本人母親とその両親と一緒に参加しており、弟は怪我で松葉杖を使用し片足で歩いていましたが一番先に到着したと後で聞き私は驚き、ガイドも絶賛していました。


我々夫婦は疲れても写真だけは道から外れ高い場所に登ったりして撮影を続けたので、他のツアー仲間の皆様と比較すると相当余分に歩いてしまったと思います。

下の写真はガイドに我々が会った後にガイドは我々より更に遅くなった最後尾の皆様と添乗員を待っていたので、最後尾前の我々7~8名のグループが先に行きましたが5m位の谷が複雑に入り組んでおり我々は道に迷い、何百mか戻って最後尾の皆様と上がって来たガイドと添乗員に会い安心し、疲れきって最初の写真の看板に向かう所です。
我々は迷った事に気付きルートを探そうと、私は5m位のが崖をよじ登り何とか正当なルートを見付け、大声で仲間に向かって叫びましたが、崖下をもと来た道に戻っていた妻達のグループには私の声が全く届かなかったようです。
妻達も私が急にいなくなり、心配して何度も大声で呼んでくれたようですが、私には全く聞く事が出来ませんでした。私とグループは距離的には近い所にいたと思いますが全く声が聞こえない事に後で恐ろしさを感じました。
最終的には妻達が左右を間違った場所まで戻り私と合流する事が出来ましたが、人数が少なかったら夕方になり焦って遭難したかも知れませんね。
看板からビジターセンターまで更に1.5㎞の登りが続き完全に夕景色に変わってしまいました。
モニュメントバレーの夕景色等は後日公開したいと思います。