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イタリア旅行から帰国

20.3.15~イタリア 419代表

ミラノ大聖堂外観と内部の写真です。
20.3.15~イタリア 415代表


私達夫婦は平成20年3月15日から6泊8日で妻が最も希望が強かった憧れのイタリアへ天気にも恵まれ楽しく旅行して来ました。
イタリア旅行は体力が必要だと聞いてはいましたが,観光地は車両の進入制限が厳しく1時間2時間と歩く事になり、普段歩く事が苦手な私には少し厳しい旅でしたが、それを上回る感動、喜びがありました。
我々夫婦はついていてニュージーランドや他の旅もそうですが、いつも天気に恵まれ本当に楽しさも倍増します。
本日は帰ったばかりなので、まず観光した場所を簡単にご披露したいと思います。
但し、この旅にはハプニングもあり我々夫婦のスーツケースが紛失し、最終日前の日5泊目夜11時に到着しました。
添乗員さんの配慮もあり、私はたいして困りませんでしたが、妻は表面には出しませんでしたが内心相当のプレッシャーになっていたようです。
20.3.15~イタリア 505代表

ヴェローナの絵に出て来るような雰囲気のある「中世の町並み」です。
20.3.15~イタリア 575代表

我々の日程は中部国際空港を15日お昼に出発しヘルシンキ空港・イギリスヒースロー空港で乗り継ぎ、自宅を出て24時間経過した現地時間の24時最初のミラノのホテルに到着しました。
その翌日から5日間掛けてミラノ・ヴェローナ・ベネチア・ピサ・フィレンツェ・ローマ・ポンペイ・ナポリと観光しました。
この順路は大正解かも知れません。想像を絶する豪華で豪壮なサンピエトロ寺院を最初に見てしまうとミラノ大聖堂やフィレンツェのドゥオモも感動が半減してしまうかも知れません。
さて今後整理して今回のイタリア旅行を観光地ごとブログに公開して行こうと思っています。

20.3.15~イタリア 782代表

ベネチアのドゥカーレ宮殿をフェリーからと町並みをゴンドラから撮影しました。
20.3.15~イタリア 816代表

20.3.15~イタリア 1198代表

ピサの斜塔の遠望と斜塔の最上部から撮影しました。
20.3.15~イタリア 1322代表

20.3.15~イタリア 1372代表

フィレンツェのミケランジェロ広場からの遠望とドゥオモです。
20.3.15~イタリア 017代表

20.3.15~イタリア 205代表

フィレンツェのベッキオ橋です。
20.3.15~イタリア 209代表

20.3.15~イタリア 155代表

急に青空を見せたローマのコロッセオの勇姿です。
20.3.15~イタリア 148代表

20.3.15~イタリア 493代表

カトリックの総本山バチカンのサンピエトロ寺院及び内部です。
20.3.15~イタリア 545代表

20.3.15~イタリア 499代表

到着した時の雨が急に上がり奇麗な青空のポンペイの遺跡です。
20.3.15~イタリア 482代表

20.3.15~イタリア 035代表

ポンペイ遺跡の外側にある謎の秘儀荘とその内部にある謎の壁画です。
20.3.15~イタリア 007代表

移動中のバスの窓から撮影した村の写真です。殆どの村または家も高台に建設されていました。
20.3.15~イタリア 328代表

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イタリアで最初の観光「スフォルツェスコ城」

20.3.15~イタリア 26426

静岡を出発してから24時間掛けてミラノのホテルに1泊し、初めて観光したのがこのスフォルツェスコ城でした。当日は日曜日で道路が空いており早めにスフォルツェスコ城に到着し現地のガイドさんを待ちました。
小雨に煙るこのレンガ造りの広大のお城は圧倒的な重厚感と威厳を備え、初めてイタリアの名所を見て、この国の観光地の素晴らしさを想像させられました。
ここへ到着した時は小雨が降りスーツケースを紛失した我々は、バスの観光客を待っていた中国人の傘を売っている人から1本5ユーロ(800円)の傘を2本買いました。日本の100円ショップで売られている傘と同じ物でしたが無くては困り購入しましたが途中で壊れてしまいました。
この傘売り中国人の10ユーロ紙幣を引ったくる態度の悪さにも憤慨しましが、この旅行を通して物を売る中国人の冷たく義務的で無愛想な態度の悪い人が多いのに辟易しました。
ニュージーランドでも中国人の態度の悪さが、日本人を含む全ての東洋人に対しニュージーランド人が不快感を持ってしまったと言われましたが、何とか中国政府は14億人の国民を責任を持って教育して貰いたいと思います。

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さて、ここで現地ガイドさん2人(日本人とイタリア人)と合流しましたが、実際にガイドをしてくれるのは日本人の方で、イタリア人の方は何の用事もせずただ同行するのみです。
これはこの後の観光地でもすべてそうでしたが、この国は労働者の権利を守るためイタリアのガイドライセンスを持ったイタリア人しかガイドすることができないので、「通訳」と称して日本人ガイドがつくという形をとっているそうです。

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説明によると、スフォルツェスコ城は、イタリア・ミラノにある城塞で、現在は美術館としても公開されているそうで、1450年にミラノ公爵フランチェスコ・スフォルツァがヴィスコンティ家の居城を改築して現在の姿となり、内部にはミケランジェロの最後の作品「ロンダニーニのピエタ」などが展示されているそうです。

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20.3.15~イタリア 30426

さて、ここの門には鉄柵が降りてくるようになっており、橋をあげて入口を封鎖する仕組みも施されているそうです。
昔、壁をよじ登ってくる敵には、こちらは煮えたぎった油を流すそうです。
また、壁にたくさん開いていましたが穴は貫通していないので銃のための穴ではなく、建設のときに使った足場の角材を突っ込む穴だそうで、レンガの湿気抜きの役目も果たしているそうです。

20.3.15~イタリア 29426

20.3.15~イタリア 31126


正面の門から入りゲートを抜け、まっすぐ進むと最後は大きな大きな公園となりますが、そのずっと前方にボンヤリ見える門が、ナポレオンに捧げるために作られた凱旋門だそうですが、完成の頃にはナポレオンは失脚したそうです。
私のデジカメでは凱旋門の撮影は残念ながら無理でした。

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ミラノのスカラ座・ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガレリアを観光。

20.3.15~イタリア 36526n


20.3.15~イタリア 35526

ミラノの朝一番で雨上がりのスフォルツェスコ城を見学した後、直ぐに免税店に連れて行かれてしまいました。私はブランドの名前も知らず特に買う物も無く資金もありませんのでツアー旅行でこの時が最も退屈する時間です。
妻もテニスに関係する物以外ブランドには淡白で助かります。本当は資金さえあれば購入したい物があるのかも知れませんが。
免税店で時間を費やした後、世界3大劇場のひとつで、世界中のオペラファンを魅了するオペラの殿堂「スカラ座」の前に到着しました。
雨は上がりましたが、時間も早く薄暗い時間帯で「スカラ座」の堂々とした石造りの外観だけを見学しました。
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スカラ広場の中心には何故かレオナルド・ダ・ヴィンチの像が有りました。
何故ここにあるのかガイドさんの説明にもありませんでしたので分りません。
さて、スカラ座は外観だけを見ても全く意味がなく、やはりここでオペラを見学する必要がありますね。
ここに併設されている博物館も見学する時間もありませんでした。
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次にスカラ座広場から続く、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世(イタリア初代国王の名前)のガレリアを見学しました。
これは大きな町にあるショッピング・アーケードを想像して貰いたいと思いますが、日本のよくある商店街のアーケードとはスケールと豪華さが全く違います。
入り口の門も圧倒的な迫力を持ち、中に入ると両側に石造りの品のある3階建ての建物の上にガラス造りのアーケードが作られています。
建物の豪華さに加え、天井近くの絵画、壁面の装飾、床面のモザイク全てが豪華で美しく、こんなガレリアはヨーロッパでも珍しいそうです。
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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世ガレリアはスカラ広場とドゥオモ広場とを結ぶ200メートルの壮大なアーケードです。
このアーケードは中心から四方に伸びるようにアーケードが建設されており、中心の一角にあるホテルは七つ星ホテルで1泊650千円必要になるとガイドさんの説明がありました。
日本はここ10数年バブルの崩壊で物価は安定していますが、ヨーロッパはこの間、物価の上昇が激しく日本よりも物価高で生活し難くなっているとの説明がありました。
私も東京が世界一物価の高い所だと思っていましたが、今は非常に生活のし易い都市になっているようです。
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このてアーケードを通り抜けた所が、 世界的に有名なゴチック建築の最高傑作といえるこのドゥオモですが次回ご紹介します。
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ミラノのドゥオモ(大聖堂)

20.3.15~イタリア 37526

スカラ広場から200メートルの壮大なアーケード「ヴィットリオ・エマヌエーレ2世ガレリア」を通りとドゥオモ広場へ出た途端、左側にミラノの中心で町のシンボルである壮大なドゥオモ(大聖堂)が直ぐそばに見え我々は思わず感嘆の声を上げました。
ミラノのドゥオモは代表的なゴシック建築で、高い尖塔が幾つも天空に向かって伸びていました。
14世紀に着工されて、ナポレオンによって19世紀に完成したと言う,大聖堂内は約150本の尖塔と3400体もの彫像が配せられ、長さ158m、幅93m、高さは最大109mの規模だそうです。 
ドゥオモの中ではガイドの説明が許されておらず、更に当日は日曜日の礼拝の最中で、入る前にガイドさんより見学するポイントの説明がありました。
入り口で係りの人から軽いチェックを受けて中に入りました。私は帽子を被っていましたが、これは取る必要があります。但し女性は昔からベールを被ったりしており帽子は許されているそうです。

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国民の90%以上をカトリック教徒が占めるイタリアでは、それぞれの街にいくつもの教会があり、その街の中心的存在の教会が司教のいるドゥオモだそうです。
それぞれの街にドゥオモがあり、ミラノにはミラノのドゥオモ、フィレンツェにはフィレンツェのドゥオモがあり、更に街の中にはいくつもの神父がいる大小の教会があり、ミラノの何処にいても一日の中で何度か教会の鐘の音を必ず耳にするそうです。
この広場で驚いたのは古い広場にそぐわない大きな広告塔があった事です。この大聖堂も下の方は看板が覆っていました。
工事中の所を隠す用途を担っているようです。
予断ですがベネチアでも工事中を隠すため本物そっくりのビルが描かれており、最初は分りませんでした。

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ガイドの説明によると、内部で見るべきポイントは3つ、① 金のラインに日光がさしている ②ステンドグラスの中でひときわ燦然と輝いているところがあるが、クリスタルが入っている③突き当たりの高い壁に赤いランプがあるが、そこにはキリストが磔刑になったときに使われた聖なる釘の1本が保存されている場所であるとありました。
内部は幻想的で石の大きな柱が何本も林立し、日曜日の礼拝に大勢の皆様が参加して説教を聞いたり、讃美歌を歌ったりしていました。
大聖堂の中は原則撮影禁止と言われていましたが、中へ入ると観光客は平然と写真をフラッシュを付けて撮影しており、私も申し訳ないと思いましたがデジカメで撮影しました。
本当は大聖堂の上に登って見たいと思いましたが勿論時間がありません。
我々はここでツアーの皆様が見学する時間を割いて、スーツケースが行方不明で下着や着る物が不足する為、添乗員さんに案内され、大聖堂の裏の方へ走り下着などを購入しました。

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大聖堂の中には上の方に大きなスクリーンがあり司教の姿が大写しにされていました。
私はこの薄暗い空間が厳かで敬虔な信者の皆様の息遣いが感じられる神聖な場所に対し、畏怖の念を抱きました。
デジカメで撮影する事は神に対し冒涜かも知れません。
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上下の写真は下着を購入しに行った裏側から撮影しました。
裏側には工事をしている場所がなく、前面よりも厳かに見えました。
この後、ヴェローナへ向かいました。
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紀元前からの都市「ヴェローナ」の町並み

20.3.15~イタリア 505代表


アディジェ川のほとりでバスを降り、ガイドさんの先導でロメオとジュリエットで有名な館へ向かいましたが、私は団体から離れこの写真を撮影しました。
アディジェ川越に見るサンピエトロの丘です。
この風景は絵画や写真で見た事があるような感じがする素晴らしい風景です。

ヴェローナ (Verona)はアディジェ川(Fiume Adige)が蛇行する内側に交通の要衝として早くから開け、紀元前49年にはローマの都市計画に従って守護壁に囲まれた自治都市となっていましたが、イタリア北部の他の都市と同様に数々の戦を経てきたと説明がありました。

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ミラノを午前中に観光し最後に大聖堂を見た後、このヴェローナに到着した為、全て見るものが新鮮で感動しました。
アディジェ川沿いにある、お洒落て暖か味のある色合いの建物が並ぶ町並みは、中世ヨーロッパを代表する風景ではないでしょうか。
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ジュリエットの家へ歩いて向かう両サイドの家の窓には必ずベランダを設けており、花を植えている家が沢山ありました。
下の写真はサン・ゼーノ・マッジョーレ教会だそうで、この教会はサン・ゼーノという聖人を祭るために建てられたもので、現在の建物は12世紀に完成したものだそうです。
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ジュリエットの家からスカラ家の廊

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アディジェ川のほとりでバスを降り、ガイドさんの先導でロミオとジュリエットで有名な館へ向かいましたが、私は団体から離れ,アディジェ川越しに見える「サンピエトロの丘」を撮影した後に皆様を追いかけました。
狭い道路の両側に4~5階建てのベランダがある建物が並び、いかにも中世風の町並みの中にそのジュリエットの家はありました。
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上の写真は最初にジュリエットの家の表側を見学した時に撮影しました。
この表側を見学し、直ぐ横にある「スカラ家の廟」、「シニョーリ広場 」、「エルベ広場」を見学したこの町で一番賑やかなショッピングストリートのアレーナのあるブラ広場へと続くマッツィーニ通りから一旦左側の落書きが一杯の小路を入ってジュリエットの像がある中庭に出ました。
中庭へ抜ける道の壁の落書きは恋人同志がこの壁に名前を書くとその恋が成就するのだそうです。
下の小さな写真はジュリエットの像がある前で美男美女が記念写真を撮影していたので、像と一緒に撮影させて頂きました。
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下の写真右側の建物にあるバルコニーがロミオとジュリエットが愛を語り合ったかの有名な場所です。
説明によると・・・・・
シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」の物語は 13-14 世紀にヴェローナを二分していた教皇派(グェルフ)と皇帝派(ギべリン)の争いが原因で起こった悲劇だ。もともとは皇帝派の都市だったヴェローナは神聖ローマ帝国に対抗していた。教皇派として自主権を認めさせた後に、再び皇帝派に戻った歴史がある。ロミオの家である教皇派のモンテッキ(モンタギュー)家とジュリエットの家である皇帝派のカプレーティ家(キャピュレット家)の争いに巻き込まれた悲恋だそうです。

さて、ここのジュリエットのブロンズ像の右胸に触れば幸せな結婚ができるということで、観光客の皆様が次々に触っており、そのためオッパイはピカピカでした。
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スカラ家の廊
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「 スカラ家の廊」はジュリエットの家の表側を見学し、直ぐに左側に折れ「シニョーリ広場」に向かいますが、左側に折れた角地にあり、どちらかと言えばジュリエットの家の前と同じです。
ここは、スカラ家一族の墓廟であり、墓廟はスカラ家の紋章などで華やかに飾られたゴシック様式の構造で4角錐の屋根の上には騎士像が飾ってありました。
ここは逆光で綺麗な写真が撮影出来ませんでした。
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下の写真はシニョーリ広場からスカラ家の廟を撮影しました。
「ジュリエットの家」、「スカラ家の廟」、「シニョーリ広場 」、「エルベ広場」は殆ど続いて見学でき、その後の円形劇場アレーナまでも500m位の狭い場所にあります。
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ヴェローナの「シニョーリ広場 」

20.3.15~イタリア 54626

ミラノを午前中に観光し、午後ヴェローナの「ジュリエットの家」の表側を通り「スカラ家の廟」を見学した後、アーチをくぐり、かつてヴェローナの政治の中心であった場所で柱廊でつながっている様々な記念建造物に囲まれ中庭のようになっている格調の高い「シニョーリ広場 」に出ました。
シニョーリ広場の中央には文豪ダンテの像があり、ダンテは1300年ころスカラ家の賓客としてヴェローナに滞在し、神曲の天国編を執筆したそうで、スカラ家は13~15世紀にヴェローナを統治してイタリア中でも一目を置かれる領主だったそうです。

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上の写真は13世紀にスカラ家が建造し、現在は県庁舎として利用されているカングランデ館で、ここにはダンテも滞在したそうです。
丁度午後の光が赤レンガのカングランデ館を美しく照らしていました。
我々が訪れた日が日曜日で内部を見ることは出来ませんでした。
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上のダンテの像の後方に見える黄色い建物は議会の回廊で15世紀末頃建てられ、ヴェローナにおけるルネッサンスの幕開けとなった建物だそうです。
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下の写真はエルベ広場側の奥にあった品のある「カフェテラス」です。
この後もいたる所でこのカフェテラスを見る事になりますが、この国の皆様はこのカフェテラスで冬でも飲食をするそうです。
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エルベ広場と接する場所に12世紀の市庁舎があり、そこに高さ84mのランベルティの塔がありました。
説明によるとこの塔にはエレベーターがあるそうで、この上からの眺望はヴェローナを見る絶好のビューポイントだそうですが、我々には時間が無く残念な事をしました。
その代わりに我々は「ピサの斜塔」に歩いてですが登る事が出来、妻はこの時の光景がイタリア旅行の中で最も感激した場所だと言っています。

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さて、我々はこの後、ここから続いている「エルベ広場」を見物し、更に500m位離れた円形劇場アレーナまでを観光し、そこからバスに乗ってベニスに近いホテルで2泊目となります。


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ヴェローナの「エルベ広場」

 
20.3.15~イタリア 57926

「ジュリエットの家」の表側を通り「スカラ家の廟」を見学し、そこからアーチをくぐって「シニョーリ広場 」入り、更に「大きな釣り針」が吊り下げられているアーチをくぐると、これから紹介する「エルベ広場」に出ました。
私は釣りが趣味であり、このアーチに何故大きな釣り針があるのか色々調べましたが分かりませんでした。
この「エルベ広場」は今見てきた直ぐ隣の「シニョーリ広場」と同じ位の大きさですが、随分「シニョーリ広場」とは印象が違いました。
シニョーリ広場は中心にダンテの像だけがあり、周りに一ヶ所だけカフェテラスがあったのみで、意外と閑散としていましたが、このエルベ広場は大勢の人並みと白いパラソルの下に沢山の屋台がでていて、果物、雑貨、土産物、日用品などを売っている華やかであり庶民的な広場でした。
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上の2枚の写真はランベルティの塔ですが、シニョーリ広場とエルベ広場にまたがる市庁舎にあります。
説明によると、両広場の間にある市庁舎のランベルティの塔入口を入り15世紀に造られた美しい階段のある中庭に出ます。
この裏にランベルティの塔への登り口があり、高さ83mを階段、あるいはエレベーターで登られるそうです。
前回も書きましたが塔の上からはヴェローナの街を一望する事ができるそうですが、我々には時間がなく登る事は出来ませんでした。

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広場の奥には17世紀に建てられたバロック様式のマッフェィ宮殿があります。
このエルベ広場は古代ローマ時代の公共市場(フォロ・ロマーノ)の跡地に建てられた広場で、市民が裁判や政治集会を行なった公共広場だったそうです。
中央には14世紀に造られた「ヴェローナのマドンナ」と呼ばれる愛らしい噴水があり、広場を取り囲む建物はいずれも中世からルネッサンス期にかけて建てられた豪壮な館や塔があります。

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この旅行で、いたるところにカフェテラスを見ました。
西洋人は冬でも店の外にあるカフェテラスで飲食をするのだそうです。
下の写真で分かりますが、それぞれのテントの奥側にあるガラス張りの三角錐の物はストーブで、我々が観光した時もストーブに火が入っていました。
外でやせ我慢をして飲食をする気であれば、熱効率の悪いストーブは必要がないと思いますが?
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この後、下の写真の方向へ向かうと、この町で一番賑やかなショッピングストリート、マッツィーニ通りからアレーナのあるブラ広場へと続く500mを、ジュリエットの家の中庭を見学しながら、スリに注意して下さいとのガイドの言葉を何回も聞き歩きました。
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ヴェローナの円形劇場アレーナへ

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エルベ広場を見物した後、この町で一番賑やかなショッピングストリート、マッツィーニ通りを「スリに注意して下さい」とのガイドの言葉を何回も聞きながら歩きました。
途中でジュリエットの家の中庭を見学し更に歩いて繁華街が終わった場所に、突然、ピンク色で美しく見える「円形劇場のアレーナ」が現れ、ここから大きな「ブラ広場」へと続いていました。
太陽が傾きかけて来た時間ですが、大勢に人達が広場に集い、カフェテラスで飲食をし、くつろいでいました。
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アレーナ(円形闘技場)の説明をご覧下さい。
BC1世紀建造建造され、ローマのコロッセオ、ナポリ郊外のカープアの円形劇場に次いで3番目に大きく、楕円形に広がるアレーナの大きさは建てられた当時長さ152m、幅122mという大きさで、44段の階段席には25.000人の観客を収容できたとあります。
現在一番外側の壁は1117年の地震により、左手の4つのアーチの部分を残すのみですが、かつては72のアーチで構成されており、観客席は3層目が消滅していますが、1層目、2層目はほぼ完全な姿で残っており、保存状態の良さでは、南仏アルル、ニームの円形闘技場と共に並び賞されているそうです。
18世紀には闘牛、喜劇などの催し物、1856年からはオペラ上演、そして1913年に作曲家ヴェルディの生誕100周年を記念して「アイーダ」の初上演が行なわれたとありました。

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このブラ広場はエルベ広場と比較すると4~5倍の規模があるように私には見えました。
馬車も待機しています。
この下の町並は日本にあるディズニーシーに似ていますね。
全てのレストランにはカフェテラスが併設されており、大勢に人が楽しんでいました。

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上下の写真にあるアレーナの市庁舎が広場に面して建てられていました。
ここは市民憩いの場として中央の噴水を囲むようにベンチなども設置されており、ゆったりと過ごす事が出来ます。

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イタリアのブラ広場の「有料トイレ」

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無粋な話になりますが、イタリア観光地のトイレ事情について書きます。
イタリア観光地にはトイレが少なく、その代り有料トイレが多いそうです。
ツアー旅行はトイレをどこにするのか考えて組まれており、レストランや土産物屋の無料トイレを利用し、なるべく有料トイレの利用は少なくしてありますが、それでも有名な観光地は有料トイレを使いました。
有料トイレは50セント位が多いそうですが、場所により使用料も違い最も高いのはベニスの1ユーロ(約160円)だそうです。男性用も個室になっていました。
高速道路にあるオートグリルも(日本のサービスエリア)、トイレの入口に女性がいて皿のような物が置いてあり、20~30セントを入れて利用します。
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最初に利用したのが、ガイドさんに奇麗ですよと勧められ、アレーナ(円形競技場)横のブラ広場の公衆トイレで50セントを支払いました。
このトイレは公園の中心に近い地下にあり、ホテルのような受付で料金を支払い男女別々の入口から入ります。
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上の写真は男性用トイレで日本と同じですが、下の写真は女性用で妻は見た事も無い形でどちらが前か分からず,思わず持っていたカメラで撮影したそうです。
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ヴェローナの城壁

20.3.15~イタリア 65626

ヴェローナで最後の観光スポットのアレーナ(円形競技場)とその横のブラ広場を見物し、いよいよバスに乗ってベニスのホテルに向かいます。
ブラ広場からバスが待機している場所まで500m位を歩いて行きましたが、歩く歩道の横には3世紀 265年ローマ皇帝により造り直されヴェローナを囲んでいた城壁、門などの建築物が今でも一部残っており感動しました。
20.3.15~イタリア 65826

20.3.15~イタリア 66326

説明によると、ヴェローナは紀元前1世紀の中頃ローマ帝国に組み込まれ、当時はアディジェ川が大きく蛇行して突き出た部分に町が広がり、北側は川によって、南側は城壁によって封鎖されていたそうです。
その城壁に造られた2つの門、ボルサリ門とレオーニ門が現存しており、ボルサリ門からエルベ広場に向かって走る道路はローマ時代の東西の幹線道路で、もう1つの門レオーニ門から南北に走る幹線道路とエルベ広場で交差していたそうです。
3世紀にこんな大きく立派な城壁が建設されたとは驚きです。中国の万里の長城とは桁違いですが?
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20.3.15~イタリア 65926

私はこの城壁がどの様になっているのか気になり、門がある所で裏側に出て見ました。
城壁の厚さは以外に薄く、万里の長城のように、城壁の上を軍隊が歩くような広さはありません。
城壁の外側にはいつ頃出来たか分かりませんが、これを壁にした建物がありました。
ヴェローナはアディジェ川がUターンの様に蛇行した部分を城壁が仕切って町を作った所で、城壁にくっついて建物がある部分はヴェローナの外側になる部分です。
この建物は城壁を必要としなくなった平和な時代に建てられた物だと思いました。
20.3.15~イタリア 66026

20.3.15~イタリア 65026

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ヴェネチアへフェリーで

20.3.15~イタリア 78226

我々はミラノに夜中に到着しそのままホテルで一泊、一日目観光はミラノとヴェローナを見学、ベニスに近いホテルで2泊目となり、翌朝バスに乗ってヴェネチアのフェリー乗り場へ到着しました。
この日は天気も良く風も無くて絶好の観光日和となりました。
我々のツアーは我々団体だけでフェリー乗り込みヴェネチアのサンマルコ広場に近い船着場へ向いました。
私は我々ツアーだけでは空いているフェリーの中を動いて先頭部分で写真を撮影しようと思いましたが、船内ではガラス越しで奇麗な写真が撮影できず、デッキに出ることにしました。
3月17日でしたが、私は薄手のジャンパーを羽織っただけですが寒くなく、風が心地よい位でした。
20.3.15~イタリア 74626新

ザッテレ河岸、 チエポロの大天井画のあるジェスアーティ教会
20.3.15~イタリア 108226

フェリーは浅い干潟にある船の通り道を、立っている杭を目印に走りますが、次々に沢山の船が通っていました。
説明によると、本島のすぐ南には、「サン・ジョルジョ・マッジョーレ島」「ジュデッカ島」、さらに南に下ると映画『ベニスに死す』で有名な「リード島」があります。
また、本島のすぐ北には、墓地となっている「サン・ミケーレ島」、さらに北にはヴェネツィアングラスで有名な「ムラーノ島」、レース編み産業の地「ブラーノ島」、そして、もっとも古い時代に栄えた「トルチェッロ島」があるそうです。


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私は今度の旅で初めて知りましたが、この干潟に建物を建てるため、大量の丸太の杭を打ち込みそれを建物の土台とし、そのため、ヴェネツィアを逆さまにすると森ができる(地中に丸太が乱立するがごとく大量に打ち込まれたため)、と言われているそうです。
建物は木の杭の上にある為、全体を軽くする工夫がしてあるようですが、例えばサンマルコ教会の床も沈んで軽く波打っていました。

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サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会
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さて、これから観光スポットごと、公開したいと思いますが先ずはフェリーから遠望をご覧下さい。
20.3.15~イタリア 107126新


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ヴェネチア「ゴンドラ」からの風景。

20.3.15~イタリア 80326

我々の乗ったフェリーはヴェネツィアのサンマルコ広場を少し通り越した船着場に着きました。
そこから直ぐそばにあるゴンドラが沢山繋がれている船着場から我々は6名づつに分かれ憧れのゴンドラへ乗り込みました。
ゴンドラは6名乗りにセットされており、真ん中に前を向いて2名で2列、更にその前に正面向いて右側に1名、離れて一番前に後方を向いて座る場所が1名となっていました。
私は一番前の席に陣取り、後方ではなく前を向いてデジカメで撮影をしました。
ゴンドリエーレ(船頭)は、ゴンドラの最後尾で舳先に向かって左側に立つ為、全員のバランスがこれで取れているようです。
20.3.15~イタリア 80526

下の薄茶色の建物がドゥカーレ宮殿で、その右隣の2階建てが当時の監獄です。ゴンドラはその間にある細い運河に入った所が観光名所の「ため息橋」です。
20.3.15~イタリア 80826

ゴンドラの説明をネットで調べました。
ゴンドラは長くて幅が狭く、船体が非対称で、縦に湾曲(ロッカー)して水との接触面を最小にとどめているため、一つのオールだけで多くの推進力を得ることができるそうです。 オール(remo)は、オール留め(forcola)で留められている。
オール留めは複雑な形をしており、オールを充てるポジションを変えることによって、ゆっくりした前進、速い前進、回転、減速、後進に対応できる。 船の前面にある鉄製の装飾は「フェッロ・ディ・プルーア」(ferro di prua)と呼ばれ、 「舳先の鉄」という意味で、ヴェネツィア語ではフェーロ・ダ・プローヴァ (fero da próva) やドルフィン (dolfin) と呼ばれる。
フェッロは事故の衝撃から船首を守るとともに、装飾の役割や、船尾近くに立つゴンドリエーレとバランスを取るおもりの役目をも果たすそうです。

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上の写真の「ため息橋」とは、16世紀に架けられたヴェネツィアの橋の1つで、白の大理石で造られたこの橋には覆いがあり、石でできた格子の付いた窓が付けられていました。
ドゥカーレ宮殿(ため息橋の前の写真)の尋問室と古い牢獄(写真右手)を結んでいる橋で、ため息橋からの眺めは囚人が投獄される前に見るヴェネツィアの最後の景色であったそうです。

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20.3.15~イタリア 101626


ゴンドリエーレの操船技術は圧巻で、細い運河を曲がる時も、他のゴンドラとすれすれですれ違う時も、オール1本で見事にすり抜けて行きます。
私は最前列にいた為、壁にぶつかりそうになった時は思わず声を出しそうになりましたが、数センチの所で反転してしまいました。

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運河に面した建物には、運河に向かって出入り口があり、下の写真のご夫婦はホテルの玄関から出て来て、我々に挨拶をしてくれました。
今回のイタリア旅行で特に感じたのは観光している西洋人のマナーの良さでした。
女性を大切にされているのは分かりますが、我々ちびっ子の東洋人がやたらに写真を撮影しても、絶対に前を横切る事はせず待ってくれており恐縮してしまいました。
また、子供さん達も撮影中に待ってくれていたのは本当に驚き躾の良さに感服しました。
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ヴェネチアのサンマルコ広場とドゥカーレ宮殿。

20.3.15~イタリア 88326

我々はヴェネチアのゴンドラに乗り込み運河観光を堪能した後、人が溢れるサンマルコ広場に入って来ました。
イタリア観光ではどこの観光スポットも大勢の観光客に圧倒されました。
このサンマルコ広場は、フェリーや遠くから見ると最も目立ちデジカメに入り切らない程の高さの「鐘楼」が、まず目に飛び込んで来ました。
この「鐘楼」にはエレベーターが設置されており、上からの眺望は最高のようですが、我々は登りませんでした。
鐘楼の下右に時計台が見えます。
20.3.15~イタリア 88726

下の地図は大変簡略化され見易くお借りしました。
サンマルコ広場は、 サン・マルコ寺院の聖堂の正面から柱廊に囲まれた台形になっていて、実際より奥行きがあるように見えます。 この台形広場と、海に面したサン・マルコ小広場が続いて、全体としてL字型になっています。(地図では台形に表現されていませんが?)
小広場には2本の柱があり、それぞれ頂上にはサン・マルコの獅子の彫像と聖テオドーロの彫像があり、中世にはこの柱の間に死刑執行台を設置したため、ヴェネツィアっ子は柱の間を通り抜けないそうです。
ベニス

ドゥカーレ宮殿 の横にある運河に掛かる大きな白い橋の上から大勢の人が、その奥50m位ある有名な「ため息橋」をバックに写真撮影をしていました。

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ドゥカーレ宮殿は説明によると、ベネチア共和国の総督が住み、立法、行政、司法の中枢だった建物で、9世紀に建てられたが、何度か火災に遭い、改築され、15世紀に現在のものとなったそうです。
外観はゴシック様式で、白とピンクの大理石で造られています。
(ドゥカーレ宮殿の向こうにサンマルコ寺院が)
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20.3.15~イタリア 06133

3方向を大理石の柱廊で囲まれた美しいサン・マルコ広場はベネチアのシンボル的存在で、広場には、高さ96メートルの鐘楼、サン・マルコ寺院、ドゥカーレ宮殿などが建っています。
サン・マルコ寺院については、後日公開します。
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この下の写真はサンマルコ広場ですが台形に見えますね。
20.3.15~イタリア 93226

下はサンマルコ広場の時計台です。我々はこの時計台から向かって左側の建物内でベネチアングラス工房を見学しました。
熱したガラスを自由自在に操り、色々な物を作り出す技術に感動しました。
この時計台の後方には迷路のような道が続き、ブランド品を売る高級店が連なっていました。
20.3.15~イタリア 93326

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サン・マルコ広場の一角にカフェテラスが設置されており、弦楽器での生演奏があり大勢の皆様が周りを囲み聞きほれていました。
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サン・マルコ広場にて大理石の柱廊の中で。
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ベネチアの荘厳な「サンマルコ寺院

20.3.15~イタリア 103826

20.3.15~イタリア 88026

ゴンドラでの運河散策を楽しみ、サンマルコ運河沿いからドゥカーレ宮殿の角を右に折れるとサンマルコ広場に出ます。
最初に見るのは目立つ前回公開した高い「鐘楼」ですが、ドゥカーレ宮殿に続きアラビア風の丸い屋根と尖塔があるサン・マルコ寺院も見えます。
当時、ヨーロッパ各国では、その国の存在をアピールする目的でその国の守護聖人を求める風潮にあったそうです。
ヴェネツィアも同様に守護聖人を求めていたところ、福音書著者聖マルコの遺骸がエジプトのアレキサンドリアにあり、ムスリムに奪われる恐れがあることを聞きつけ、828年、それを奪い取りヴェネツィアに運び、この時よりヴェネツィアは聖マルコを守護聖人とすることになったそうです。
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我々ツアーはこのサンマルコ寺院の中を観光しました。全ての大聖堂は帽子の着用は許されず、またサンマルコ寺院だけは内部の撮影をまったく許されませんでした。
ローマのバチカン「サンピエトロ寺院」は写真撮影フリーでしたが、他の大聖堂は規制がありますが、何とか撮影は許されました。
薄暗く威厳のあるサンマルコ寺院の中は天井、壁、床がモザイクで飾られ、鈍い金色に輝いています。
この寺院の床は地盤沈下により若干波を打っていました。
外から見ると寺院にはアーチの下に豪華に色鮮やかな色々な壁画が描かれていました。
20.3.15~イタリア 103726

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説明によると、サン・マルコ寺院は、福音記者マルコにささげられたイタリアのヴェネト州の州都ヴェネツィアで最も有名な大聖堂で、ビザンティン建築を代表する記念建築物であるとされています。
その当時、コンスタンティノポリスで500年以上も前に流行した形式を採用し、サン・マルコ広場に面して建ち、ドージェの館であるドゥカーレ宮殿に隣接し繋がっています。
1807年からはヴェネツィア大司教座が置かれているため、本来現在は「サン・マルコ大聖堂」と呼ばれるのが適切ですが、長らく「司教座聖堂(大聖堂)ではなかった」点が特徴の一つでもあり、現在も歴史上の呼称に合わせた「寺院(ないしは聖堂)」の呼び名が一般的となっているそうです。

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ベネチアの街中を散策し迷子に。

20.3.15~イタリア 100826

20.3.15~イタリア 101326

ヴェネチアのゴンドラ遊覧を楽しみ、サン・マルコ寺院、サン・マルコ広場を見て感動し、ベネチアングラス工房を見学、高度な加工技術に驚いた後、昼食前2時間の自由行動となりました。
我々夫婦のスーツケースが紛失し、まずは明日着る物とビデオカメラのテープを購入すべく、時計台の下の路地からサン・マルコ広場を出て街中散策を初めました。
我々はガイドブックの地図を持たずに簡単な気持ちで、高級店が並ぶ細い路地を辿って行きました。
20.3.15~イタリア 101626

20.3.15~イタリア 99326

上の写真は最もヴェネチアの街並みを現しているアングルで、橋の上で絵を売っており、運河沿いの小道からこちらに向かって階段を上がって来る帽子を被りコートを着た素敵な紳士がいて、最高の写真が撮影できる予定でしたが、紳士に気を使い焦ってイマイチになってしまいました。でも素敵です。
ヴェネチアの街並みはどこを撮影しても絵になりますね。
20.3.15~イタリア 99226


20.3.15~イタリア 97026

ヴェネチアは11世紀末から勢力を拡大し、16世紀にかけて全盛を迎えたのですが、その後衰退したそうです。赤茶けた古びた建物の間を縫う様に続く細い路地と運河の様子は16~17世紀当時のヴェネチア本来の姿を伝えている様で感動の連続です。
20.3.15~イタリア 97126

20.3.15~イタリア 98626

細い路地の両サイドにはショーウィンドウの中が綺麗に飾られた高級店がビッシリ並び、そこを多くの観光客が散策しています。
日本のようにシャッターが閉まっている店はまったくありませんでした。
イタリア旅行で驚いたのは中国人を初めとした東洋人の観光客が極めて少ない事でした。
日本人観光客も相当入っている筈ですが、それ以上に世界中から沢山の観光客が集まっているようです。

20.3.15~イタリア 97426

20.3.15~イタリア 98926

我々には高級店は必要なく、入り組んだ路地を奥へ奥へと入り込みました。
何とか我々でも購入する事が出来る価格のシャツを見つけ一番小さなSサイズを購入しましたが、ホテルで着てみると手の長さが10cm以上長く困ってしまいました。
さて、私は日頃から方向感覚だけは鋭く、たえず自分の位置を確認しながら行動していると思います。
この為、買物で奥へ奥へと入った通りを単純に戻ることもないと思い、横道にそれて散策を始めました。
20.3.15~イタリア 99926

20.3.15~イタリア 100726

水の都ヴェニチアは海上に浮かぶ100以上の島からなる水上都市で、街中の細い路地を歩いていると、細い運河が縦横無尽に入り組み、まるで街中が迷路の様になっており、私が自信を持っていた鋭い方向感覚も役に立たない事に気付きました。
太陽が出ており、方向的にはこちらかなと思っても真っ直ぐな道はなく、運河に橋が無かったり、行き止まりになっていたりして困りました。
途中からは東洋人に全く会わなくなり、観光客の数も減って来ました。
集合時間30分前になっても、あの高いサン・マルコ広場の鐘楼やサン・マルコ大運河が見えません。
20.3.15~イタリア 99726

20.3.15~イタリア 100526

我々は遂に焦り初め私が意を決して、カフェテラスのウェイターさんに旅行会社から渡されたガイドブックに載っていたサン・マルコ広場の写真を見せて、行く方向を身振りで聞きました。
一度聞いてその方向に向かいますが、またまた運河や行き止まりに突き当たり、何度もあちこちで聞きながら漸くサンマルコ広場が見えた時は集合時間10分前で本当にほっとしました。
2時間以上の楽しい散策でしたが,最後は焦りました。
20.3.15~イタリア 101126

ヴェネチアでも宅急便のように荷物を運んでいる人達を見掛けましたが、橋を登ったり降りたりと大変そうでした。
20.3.15~イタリア 101426

私の頭の丁度後方にある時計台の下から広場を出て、ここに戻って来たのは私の予想とは全く逆の、私が向いている方の入口から入って来ました。
本日ヴェネチアを観光している東洋人の中で我々夫婦が最も沢山の距離を歩いたのではないかと思いました。
20.3.15~イタリア 103226
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サン・マルコ運河の向こうに「サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会」が

20.3.15~イタリア 105326

サン・マルコ広場、ドゥカーレ宮殿がある本島からサン・マルコ運河の向こうにサン・ジョルジョ・マッジョーレ島が見えます。
この島までは距離的に近く、上の写真は望遠で撮影した為、更に近く見えます。
島のほとんどはレンガ造りで美しい「サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会」となっており、水上バスが停まるため自由に上陸できるそうです。
サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会は1566年より建設され17世紀初めに完成したそうです。
20.3.15~イタリア 106726

この島で最も目立つ「鐘楼」はサン・マルコ広場にある「鐘楼」と瓜二つで18世紀に付け加えられ、高さ75mをエレベーターで上がれるそうです。
説明によるとサンマルコ広場の大鐘楼がとても混んでいる時は、対岸のこの鐘楼に上がるのがツァーガイドの奥の手だとありました。
我々はサン・マルコ広場の鐘楼について知識が無くガイドさんからも説明がなかった為、エレベーターで登れる事すら想像していませんでした。
ヴェネチアの街中を2時間も迷いながら散策する時間があった訳ですから、少し位待っても鐘楼に登るべきであったと後悔しています。
20.3.15~イタリア 105526

サン・マルコ沖に浮ぶサン・ジョルジョ・マッジョーレ島の修道院聖堂は、その美しい姿から「水辺の貴婦人」と言われているそうです。
20.3.15~イタリア 106426

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飛行機は一度「ビジネスクラス」に?

20.3.15~イタリア 19901飛行場

20.3.15~イタリア 20001飛行場

我々は今度のイタリア旅行では、行きに3回,帰りに2回飛行機に乗り替えました。
その中で行きの3回目ロンドンヒースロー空港からミラノまで乗ったブリティッシュエアラインの飛行機はジャンボ機より少し小型でしたが最前列に座りました。
(余談ですがヒースロー空港の手荷物検査では全員靴脱ぎ検査を受けさせられたのには驚きました。)
飛行機が飛び立つと我々の後方5列目位にカーテンが引かれていました。
添乗員さんの説明では到着までの1時間半には軽いサンドウィッチと飲み物が出ると言っていましたが、我々には美味しいクリームチキンパスタに高級で大きなチーズが出て勿論ワインも付き、デザートも本物の果物が出ました。
食器も全て本物で綺麗に磨かれたワイングラス、銀色のどっしりとしたフォークとナイフに、布製のナプキンで本格的な食事が出来ました。
1時間半の搭乗でしたので寝る時間はありませんでしたが、座席もユッタリとしておりかなり余裕でした。
但し、我々はこの座席がビジネスクラスであったと思いますが、他の人からサンドウィッチの話が出るまで分りませんでした。

20.3.15~イタリア 35126

20.3.15~イタリア 33226

細かい事は書けませんが、我々夫婦の搭乗券は帰りのフィンランドから日本までの搭乗券もビジネスクラスになっていました。
この為、フィンランド空港ではラウンジに入ってサラダやチーズを食べブランディや生ビールを飲み、ビジネスクラスの雰囲気を味わいました。
ただ、残念ながらフィンランドから日本までの飛行機の座席は勿論エコノミークラスでしたが。
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長女もニュージーランドで結婚式を挙げた時に、ラウンジを利用したと言っていましたが、入った事もない我々には理解が出来ませんでした。
今回は色々と面白い経験をさせて頂きました。
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規模の大きさに圧倒された「ピサ大聖堂」

20.3.15~イタリア 117626

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20.3.15~イタリア 117426

我々はフィレンツェからバスで1時間半以上掛けてピサの斜塔を見学する為、その近くにあるバスの大型駐車場に到着しました。
ここからシャトルバスが出ており我々はこれに乗り込みましたが、渋滞に巻き込まれ歩いた方が早いくらいでした。帰りはシャトルバスを止めてバス停まで歩きました。
シャトルバスを降りて城壁沿いに土産物屋を見ながら入り口に到着しました。
ここ入り口から撮影した写真が最初の写真です。
青々とした芝の向こうに、洗礼堂・大聖堂・ピサの斜塔が並んでおり、その大きく壮大の建物と荘厳さに圧倒されました。
到着した時は雨が降っていましたが、観光を始める頃から雨も止み、ピサの斜塔に登る事も出来ました。
今回のイタリア旅行は全て天気に恵まれ、到着した時は雨でも歩き始めると天気が良くなると言う状況が続きました。
昨年のニュージーランでも天気に恵まれましたが、我々夫婦は本当に幸運に恵まれていると思います。
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添乗員さんはピサの斜塔に我夫婦も含め登る人の為に、シャトルバスを降りると我々より先に走って30分に30名が限度と入場制限をされている入場券を手にいれる努力をしてくれました。
その添乗員さんが門まで来た時に突然添乗員さんの携帯電話のベルが鳴りました。
我々の紛失したスーツケースがミラノで発見されたとの吉報でした。もう発見は無理かも知れないと思っていましたから、妻は大変な喜びようでした。
本日はフィレンツェへもう一泊しますが安全を考え、明日泊まるローマのホテルに送る事になりました。
結局我々の手許にスーツケースが到着したのは翌日ローマを観光し、ホテルの夜の11時頃でしたが。
さて、下の写真は、緑の芝生が生える広場の中央にそびえる大聖堂(ドゥオモ)で、1063年に建築を始めたといわれているそうです。
建物の構造は、奥行きが約100m、幅約30mで、上から眺めるとラテン十字の形をしており、内部は、円柱が密に並び、五廊式となっていると説明がありました。
下の写真2枚でこの建物の大きさを実感して下さい。下2枚目の写真の丸屋根の下にある入口が下1枚目の写真です。
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さて、我夫婦はピサについて事前の知識も無く、ピサの斜塔がある程度の事しか知りませんでした。
入口に近い大きな円筒形の建物洗礼堂は、直径約35m着工は、1152年で完成には200年以上を要したそうです。
全体は白い大理石で、建物の下側がロマネスク様式で大聖堂と同じような列柱とアーチで装飾され、上側はゴシック様式を示している尖塔群で装飾された珍しい建物だそうです。
この洗礼堂には本当に驚きました。
ピサの斜塔の横にある大聖堂は一緒に映っている写真はありますが、この円筒形の洗礼堂は全く見た事がありませんので、こんな大きく立派の物がある事に本当に驚きました。
20.3.15~イタリア 124226

ピサの斜塔 は、イタリアのピサ市にあるピサ大聖堂の鐘楼であり、観光スポットで1173年8月9日の着工時には垂直であったそうですが、13世紀には傾いていることが発覚したそうです。
20.3.15~イタリア 120926

20.3.15~イタリア 124926

下の写真は大聖堂の北側にある 墓所(カンポサント) でアーチの連続する回廊付の美しい中庭を持つ墓所があるそうです。
20.3.15~イタリア 125126

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青々とした芝は日本の短く刈り込んだ雰囲気と違い、10cm以上伸ばしてあり風になびいていました。
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幸運な帽子

20.3.15~イタリア 38522

私はこのvansの帽子が大好きでどこかへ旅行をする時には必ずこの帽子を被って行きます。
この帽子はいつ何処で買ったのか忘れてしまうほど、長い間愛用をしています。
随分前になりますが、家族でディズニーランドへ遊びに行った際この帽子をヒョンの事から紛失してしまい、ダメもとで帰りに遺失物の受付けに色や形を届けて置きました。
そしたら何日かしてディズニーランドから我家に丁重にこの帽子が送られて来て、本当に驚き,やはりこの帽子の運の強さが証明されました。
またディズニーランドの親切な対応に感謝した物です。
20.3.15~イタリア 38822

20.3.15~イタリア 39022

この帽子は縫製が良く頭の大きめな私にはピッタリと馴染み、テニスやゴルフ用に同じ形の帽子を沢山持っていますが、旅行の時には必ずこの幸運な帽子を被って行く事に決めています。
この帽子も長く利用しており後ろの長さを調整するプラスチックの部分の突起が減ってしまい困っていると、妻が他の帽子から取り外したものをこの幸運な帽子に付け替えてくれました。
これでまだまだ当分利用可能となり、元気に旅行に行ける間はこの帽子を被り天気を心配しないで楽しみたいと思っています。
20.3.15~イタリア 38722

20.3.15~イタリア 40022
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Appendix

アルバム

当ブログで掲載した写真たちです。

プロフィール

まさゆき

  • Author:まさゆき
  • 釣り好きのまさゆきからテニス好きに変わり、相変わらずテニス好きのゆきえの合計年齢146歳に到達した夫婦ブログです。家庭菜園と飲む事は夫婦ともに大好きです。更に夫婦で安いツアー旅行にビール片手で出掛ける事が二人の至福の喜びでしたが、2017年12月末から愛犬ミルクが家族となり生活が一変しました。
    静岡市在住;